見出し画像

水泳を信仰する男

僕は、何回も宗教に勧誘されたことがある。先入観念で否定してはいけないと思うから、話を聴いてみるが、一度も入信したことはない。

それは宗教を信じられないかったというより、それ以上に、それが気持ちよく感じられなかっただけのことかもしれない。

僕に宗教があるとしたら、それは水泳だ。
水泳は気持ちよく、自分の楽しい記憶、暖かい記憶につながっている。

僕の一番古い記憶も水泳にまつわるものだ。

幼稚園に入る前だったと記憶している。市民プールに父に連れて行ってもらった。水泳を習って、少し泳げると、父は大袈裟に喜んで、大袈裟に僕をほめた。それだけのことが嬉しくて、それから半世紀以上たった今でも、心の奥に大切な記憶として確かに残っている。

水泳は楽しい。気持ち良い。

小学校4年生の4月、9歳の時に、父が事故死した。4月にはもう父とプールに行くことを楽しみにしていた。当時、男の子は涙を見せてはいけないものだと思い込んでいて、泣くのを我慢して耐えていた。

7月になって一人であのプールに行って、泳ぐと、父を思い出して、涙が止まらなかった。プールではいくら泣いても、誰にもばれない。泳いでいたら、涙を流しているかどうかなんて、自分にしかわからない。

涙を流しながら泳ぐのは、いつも以上に水が自分のすべてを洗い流してくれる感じだった。泳ぐことで皮膚を水が滑っていくことによるいつもの感じだけでなく、まるで、体の中の、特に脳の中の、悲しみを昇華させて、液体にして洗い流してくれているように感じた。それは、それは、特別な体験だった。それも水泳があったからできたことだった。

僕は生まれたときだけ小さかったけど、生後一年経った頃にはもう平均より大きくなり、ずっと標準より大きいまま成長して、身長185cm程度で、体型的にも、スポーツできそうにみられながら、運動は苦手なままだった。

見た目は、スポーツできそうで、実際は苦手で、かっこ悪いことこの上ない。特に子供時代から高校生くらいにおいて、スポーツが苦手な男子はかっこ悪くて情けない思いをする。

そして、学校で水泳ができる一年のうちの夏のわずかな期間だけ、水泳で活躍するのだ。短期間だけスポーツマンになれることは誇らしく快感だった。たった一つだけの得意スポーツ、他のスポーツは全部苦手。
それで一段と水泳を好きになった。

人生では色々な体験をしてきている。そして、つらい時ほど、水泳は僕を優しく慰めてくれた。

心の落ち着きをとりもどさせててくれた。水中を進んでいくときに、皮膚を水が撫でて滑っていく感じが、僕を気持ち良くさせて気分を整えてくれた。

仕事ばかりして、水泳を離れていた時代がある。
仕事ばかりカリカリしていたことも関係して、体を壊して、手術してそこから敗血性ショック状態というものになったことがある。多臓器不全になりかけていて、臨死体験をした。それで、僕は生きていて、何をしたいのか考えた。やりたいことは泳ぐことと書くことだった。

それで、いきなり、ジャパンマスターズスイム(年齢別では一番レベルが高い)試合と、オープンウォーター4㎞に参加した。

身体の回復も不十分で不整脈も治っていないし、かなり無茶だった。
ジャパンマスターズは100mフリーにでた。家族が応援にきてくれて、次女が、「パパは途中までは、折り返すまでは2番だったんだよ、そこから抜かれちゃったんだよ」 と興奮しながらは話してくれた。

帰りの地下鉄の駅でも汗が止まらず。どうしても、しょうがないので、駅構内で、Tシャツを脱いで絞ったら、濡れぞうきんを絞ったときの水みたいに、汗がドバーっと流れた。とても健康な状態ではなかった。レースも娘たちの前で、最後に次々抜かれて、ビリになった情けないものだった。それでも出場して良かった。

オープンウォーターでは、なんの前知識もなしに出場したら、海で方向を見出すことの難しさを、レース中に知った。 コースを間違えて、4kmのレースで多分5km泳いだ。 浜に上がると、しばらくして、グッタリしすぎて、座っていることすらできなくなって、砂浜にしばらく死んだように寝転がっていた。不整脈であることを感じていた。かなり心臓も全身もやばいように感じたけど、出場してよかったと思っている。

こんなに水泳好きなのに、不整脈の関係らしく、すぐに息が苦しくなった、連続で泳ぎ続けるのが困難で情けないなあと思っている時期もずっと水泳は続けていた。

有難いことに、年齢別の日本記録保持者が2名いるリレーのメンバーいれてもらったおかげで、マスターズスイムで個人ではとてもとれない金メダルをもらえたことがある。

最近になって急速に進歩した、最新の医療技術で心臓の手術を受けたら、その不整脈が治った。確率的にはその最新の技術と機器でも完全治癒率は30%以下とその特別に腕の良い医者に言われたが、他の心臓専門病院では何度訊いても治らないとハッキリ言われていたから、賭けてみることにした。

話の一貫性等からも、滅多にいないほどの医者であろうことは推測できた。

手術の2日後に不整脈は再現して、やっぱり駄目なのかなと思っていたら、一か月後に、全身麻酔で、電気ショックをしてから、16年ぶりに完全に正確な鼓動を心臓は取り戻した。 30%の治癒率は再手術も含めてのものだそうだが、僕は一発で治ってそれから一年以上経過しても完全に良好な状態だ。

そもそも、その超腕の良い医者が、実物の僕がかなり元気そうに見えるのと、心電図から心臓自体のダメージが少ないものと判断したから、紹介状とデータを見て、無理そうだから丁重に断るつもりだったのを考え直し始めてくれた。心電図を取り直してみて、珍しい事例として、僕の手術に取り組んでもらえたものだった。

それで、水泳をあがめる僕は勝手に信じたんだ。息が苦しい時代も、僕の人生の何もかもがうまくいかなくて、自暴自棄になっていた時期も、僕は水泳だけは続けてきた。むしろ、つらい時ほど、水泳を心の支えにしていたから泳ぐしかなかった。 それが、不整脈を16年間以上も続けていた時代も、心臓を含めた僕の体のダメージを小さくしてくれていたんだろうと。それも治った大きな要因になっているであろうと。

58歳になって、僕はまた連続しても楽しく泳ぎ続けられるようになった。
泳ぐことは楽しい。気持ち良い。僕の最後の支えになってくれる。
水泳は僕にとって神様が与えてくれた趣味なんだ。ありがとう。

80歳でバタフライを気持ちよく泳いで試合で完泳できることを目標にした。
水泳好きな人に届きますように!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?