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結局「講義」とは何ぞや?

SNSでは,時々「大学の『授業』というのは誤りで『講義』なのだ」という言説が見られます。

例えばこちら。

びっくりするな。 大学で授業とか。 講義であって、議論を促す場なのに。 学生一人一人が、自分で調べて、考え、教授にエビデンスを揃えて、議論して学んで行くから「大学」なのに。 小学校みたいに、手取り足取り、おんぶに抱っこじゃない。

Shizuka Uchida氏のX(旧Twitter)2023年1月10日のポスト

今はなくなってしまったのですが,「大学では、中学高校と違い、授業とは言いません。あくまで講義と言います。」とし,次のように述べている古いブログもありました。

何故に授業という言葉を使わないか?
授業は、字の意味でいくと業(ワザ)を授けることです。
つまり、授業をするということは、相手に知識を与えようという意識が必要になります。しかし講義は、別に知識を与えることを目的とはしていません。自分の学説を論じてみたり、研究の一端を解説して、それを学生が一生懸命理解しようとするのが、講義なのです。(適宜改行は修正した.)

「大学教員の日常・非日常」ブログ

この二人の先生方の「講義」観は,それぞれの先生方の大学観,すなわち大学というものをどうとらえているかを反映しています。この二つの「講義」観から垣間見える大学観はShizuka Uchida氏が書いている通りです。「学生一人一人が、自分で調べて、考え、教授にエビデンスを揃えて、議論して学んで行く」場,つまり学生が自ら学んでいく場が大学であるということです。この大学観に異議を述べるつもりはありません。

しかし,「大学では,『授業』と言わず『講義』という。」という,大学教員によくある言説には違和感があります。上の大学観を前提にしたとしても…です。

そもそも「講義」とは何でしょうか。

Shizuka Uchida氏は「議論を促す場なのに」と述べています。すなわち「大学の講義は,議論を促す場である」ということです。

「大学教員の日常・非日常」ブログでは,「自分の学説を論じてみたり、研究の一端を解説して、それを学生が一生懸命理解しようとするのが、講義なのです」と述べています。

果たしてこの2つの「講義」の定義は,一般的な定義でしょうか。

佐藤浩章編著『講義法(シリーズ 大学の教授法2)』(玉川大学出版部)では,以下のように書かれています。

現代では……講義法を,大学誕生当時のように,「教員が口述したり資格を使ったりすることによって内容を直接伝え,学生は受動的に聴き,ノートを取る方法」(Unger 2001),あるいは「教師の講義・説明によって,多くの学習者を対象に,幅広い知識を系統的に伝達できる教育方法」(宇佐美 2004)と定義するだけでは不十分です。本書では,講義法を,以下のように定義します。
……
「学習者の知識定着を目的として,教育者が必要に応じて視聴覚メディアを使いながら口頭で知識を伝達する教育技法」
……

佐藤浩章編著『講義法(シリーズ 大学の教授法2)』(玉川大学出版部)

ここでは,講義は「学習者の知識定着を目的として」「口頭で知識を伝達する教育技法」であると明記されています。「大学教員の日常・非日常」ブログが「別に知識を与えることを目的とはしていません」としているのとは真逆です。

佐藤が上に示した「講義の定義」の方が一般的だと思うのですが,いかがでしょうか。

また,「授業」という言い方をしたとしても,小学校の授業と大学の授業では,その内実が異なるのは当然のことです(もっと言うと,小学校と中学校,中学校と高校でも授業の内実は異なっているはずです)。

つまり,ここで重要なのは,大学で行われているのは「講義」か「授業」かではなく,大学の教室で行われている教育活動の内容がどうあるべきかだと思うのです。「講義」と呼ぼうが「授業」と呼ぼうが,それは本質的な議論ではないと考えます。。

もっとも法令上は,大学「授業科目」「授業」と表記され,「講義」は「授業」の中の種別にすぎません。

(教育課程の編成方針)第十九条 大学は、学校教育法施行規則第百六十五条の二第一項第一号及び第二号の規定により定める方針に基づき、必要な授業科目を自ら開設し、体系的に教育課程を編成するものとする。……(授業の方法)第二十五条 授業は、講義、演習、実験、実習若しくは実技のいずれかにより又はこれらの併用により行うものとする。

大学設置基準

Shizuka Uchida氏のポストには,とある方がこの「大学設置基準」を示して,大学で行われる教育活動は講義だけではないことを暗に示したのですが,それに対して「幻滅します。」と返信しています。この返信の真意を知りたいと思っています。

(どちらかというと,大学の授業がどうあるべきという議論よりも,学生の質の低下を嘆いておられるように見受けられました。そうなると,論点は「大学の授業」ではなく,大学の在り方そのものになるのかもしれません。)

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