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心が狂わない食事とはなにか

2016年1月に母が亡くなり父の食事を毎日作ることになった。老人と暮らすことは困難だといろいろな本で読んだし、それ以前の体験からも分かっていた。僕のことがわからなくなったらどうしようもないと感じていた。

医学は「認知症」と呼ぶが、僕は「心が狂う」と呼ぶことにしている。

医学は認知症やアルツハイマーの原因を患者の脳内の物質に求める。

症状を発現している人の脳細胞内や周辺に「レビー小体」「アミロイドβ」と呼ばれる代謝物が有る事を発見した学者様はこの物質が悪いと言う。別な学者様は「最終糖化物質」があるから、「認知症は脳の糖尿病だ」などという。

馬鹿じゃなかろうか

救急車が事故現場に止まっているから、「救急車が事故を起こす」というようなものだ。僕は動脈硬化なども同じ過ちに陥っていると思う。

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細胞でできたシートのほころびから生じる

脳は「髄膜」と呼ばれる細胞のシートで隔離されている。その隔離が破られると内部に様々なマイクロバイオーム(細菌やウイルス、その他)が侵入する。それが原因だと何故考えないのだろうか?

細胞がタイトジャンクションと言われる細胞結合を通じてシートを形成する。そのシートがほころんだ時、「膠原病や難病」と言われる「症状=状況」が出る。それらの現象のほとんどが「自己免疫疾患」である。

コロナも肺炎の重篤化は自己免疫疾患であるから、そういう意味では膜のほころびなのである。

今私達が苦しんでいる様々な「状況」は1980年代前の「病」とは違う。「病」は戦うべき敵が明確であった。「感染症や欠乏症」と言うものは、原因と結果が簡単に対応している。直交的であった。

それに比して、ガンや、生活習慣病の結果としての合併症は「症状」しか見えない病なのだ。

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「商品化された食事」こそが原因

1980年代を境に大きく社会は変わり、その変化がこの「症状しか見えない病」を生んだと考える。そこでこの50年の社会の変化とは何かと考えると「食事の商品化」であったと言う考えにたどり着いた。

そのきっかけは、「父の食事」作りであった。2015年当時糖質をとらないで食事を組み立てることばかり考えていたが、父は自分の好きなものが食べたいという。なので何が好きかを聞き、できるだけ炭水化物を取らないで食事を組み立てるようにした。

特別な理由がない限り毎日一緒に食事をした。母は亡くなったがまだ家族はいるのだと思ってもらいたかった。

食事というのは単に栄養を取るものではない、共に生きることなのだ。

だから難しい。子供は拒食症に成り、親は依存症になる。

父の食事は数年をかけて徐々に形が決まっていった。やっぱ酒ばっか飲んどった(笑)。それでも少しずつ減っていった。

ご飯は少し(60g)酒少々(1合~2合)、朝は焼き魚か卵、夜は刺し身と細かな煮物や佃煮、冬になったら煮魚、時々焼き肉。できるだけ季節のものを手間を惜しまず作る。煮付けは切らさない。

こんな食事は何処にも売っていない。

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2016年以降の5年間の記録


僕は幸運だった。糖尿病という病で、自分で食事を作らざるを得なくて、父とともに過ごせたから。

僕が見つけたもの、家族に教えられたものを、子供たちに伝えたい。

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父は残念ながら、今年の2月に背骨の圧迫骨折から動けなくなり体力を消耗し、食べれなくなって亡くなった。

しかし、倒れるまで、しっかりと食べていた。圧迫骨折に関しては言いたいことはたくさんあるが、もう少し時間が経たないと上手くかけない。調べたいことや僕の心のことが上手くかけない。

今でも父と妻がオセロをしたときのことを思い出す。父は最後まで心が狂うことはなかった。

オセロする父

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実質的にこのお話の続きです。



厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。