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海外で学んだブランディングの重要性

なぜブランディングは、日本国内だと響かないか?
それは、限られた多様性の中で生きているから
です。
これにはいい意味も多分に含み、ビジネスなどにおいては、難しい状況を産むこともあります。

今日は、花粉症から微妙に復帰しつつあるので、ブランディングの必要性を確信した時の学びをコラムぽく緩めに書いてみたいと思います。

国内では、ブランディングはビジョン、ミッション、バリューなどの項目にわけて、日本人の大人なら誰でも分かりきったこと、時には青臭いと思えることを決める不思議なもの

もっと言うと、スーツを着た大人がおはじき遊びでもしているかのような気分になり、投資を正直馬鹿らしいと考える人もいると思います。

企業上層部にとっては、毎日がお金、出血と思えば理解できます
にも関わらず、海外ではブランドがなぜ重要なのでしょうか
上層部は皆、時間もお金も使いたくないにも関わらず。

言語は文化のインターフェース

言語習得を単語・文法の暗記と捉えている。
いざとなったら翻訳機を使えばいいと思うこともあると思います。
それは公用語が日本語のみで、ほぼ同じ習慣で生きており、それが文化にどれほど密着しているか想像できないからです。

たとえば、30才前後の男性はドラゴンボールとかワンピース、ポケモンを知っています。そして、おそらく好意的に捉えていると思います。
でも海外でこれをやろうと思うとかなり難しいです。
後述しますが、その人その人によって大切なものが大きく違うこともありますし、その幅非常に大きいのも特徴です。

しかし外国でプロダクト、サービスを作ってと世界を狙っているチームは、チームの中に、母国語以外で話している人も多くいます。
緩くポジティブに表現すると多様性ですが、現実の話として、多様性とは恐ろしいほど繊細な触れてはいけないものも含みます
例としては、人種、宗教、法律の差、常識の差などなど。

文化との融合は生まれてからどれだけ浴びたか、言い方を変えるとその文化にどれだけの時間を支払ったか?となります。
同じ釜の飯を食ったかみたいな話です。これは頭が良くても習得できるものでなく、時間が必要だと思います。

つまり、同じ言語で人生の9割を過ごした人々は、ブランディングなどしなくてもある程度わかり合っているということです。
しかし、チームが一つの文化しか持たない場合、本当にイノベーションを、ものづくりを目指した時に『見える課題もまた限定』されます
これが、多くの場合、単一文化はいいこと(平和)だとも思う反面で、ビジネスを作る時には目に見えない、恐ろしいハードルであると考えています。

自分の国を語ることができるか、立ち位置はあるのか、

これは、政治的な意味は含みません
私はデザイン学校を出ています。政治のことなど海外も日本も知りません。
無学な人は海外にもいます。
しかし、自分の国のことを語れない人は、ビジネスの場にはそうそういません。そもそもよく話をふっかけられます。主に近代についてです。

日本国内でそんな話したことないし、なんか稀なケースなのかなと思うのですが、結構色々な人がその話をしてきました。日常トピックの一つなのです。
海外の差の考え方は大変に進んでいるところもあると思います。
しかし、それは平和、安定しているということとイコールではないと感じました。逆であるからこそみんな一生懸命に、多様性のある人々、課題の収拾を図るのです。

このトピックの言いたいことは、
本当に簡単な表現で、人々の心を一つにする言葉は、多様性には、絶対に必要なのです。
それは、世界で全く同じブランディングの手法をしても、わかり合っているチームと、多様な人々を抱えているチームとでは重要性は異なります

日本にブランディングが必要な理由

日本国内でロンチし、クローズするならビジネスの才能のある人と、実装の才能のある人が組み、速さで勝負をするのが合理的と感じます。

しかし、もし海外で売りたい、あるいは、世界で最も機能的でないものを売りたい場合、また、それをユーザーに応援してもらうのであれば、共感を得るためにわかりやすくメッセージングする必要があります。
買う側はだいたいの場合、人であり、人には心があります。

日本で必要な理由は言うまでもないかもれませんが、
今までは、迎え撃っていればよかったシーンが、徐々に打って出なければいけない時代への切り替わりつつあるからだと思います。
今まで何度となく言われているこういった話ですが、そろそろではないかと流石に皆さんも思っているのではないでしょうか?
その時に、上記のようなことに皆さんも共感を持ってもらえるかもしれません。


ということで、事業開発、登壇などなどありまして、牛歩になってしまいそうですが、またなるべくすぐ連載などを再開したいともいます。
では、また:)
(短くするつもりが、今回も長い、、、)