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メタ批評論の方へ/あるいは〈ISO100の叙情〉に向かって

以下に読まれるのは、授業のレポートであり、wordファイルは2000年5月の日付を持っている。東京大学教養学部・表象文化論コース3年のときで、21歳だった。佐藤良明先生の授業である。

当時、卒論の見通しは全然なかったが、個人的に専門だと思っていたのは「批評」の考察であり、僕はよくそれを「メタ批評論」と呼んで周りに吹聴していた。まさに「批評ワナビー」だったのだが、稚拙な考察とはいえ、それは少しずつは進展していて、以下のレポートはそれがある程度まとまった段階だろうと思われる。

カントについての記述や、その他参照される事項の扱いはいま見ると恥ずかしいもので、間違いも散見されると思うが、批評というものの位置の分析は自分で行ったもので、読み直してみて、なかなか逞しい若者だったじゃないかと、自分の奥底にこんな若者が沈んでいたのかと、他人事のように、元気を与えられる思いがした。

「批評」というワードが熱かった時代である。まだ『批評空間』の時代である。こういうものを書いても、見せる宛ては、友人と大学の先生だけだった。業界につながるなんていうことは、きっかけの想像もつかなかった。

だが、僕はこれを練り上げる形で卒論を書くことにはならなかった。現在、教員となった僕ならば、この若者に教えるべき参考文献はわかるし、先行研究を前に敷いた上で卒業論文を構成できるよう、アドバイスしたくなる。だが、当時、先生たちはほとんど完全に放任で、この問題関心を研究の歴史に着地させる方法を教えてくれる人はいなかった。

結局、ここにも見られる精神分析への関心や、現代思想への関心などがもやもやと混ざった状態で4年生になり、現代思想の根っこのひとつであるマルセル・モースで卒論を書くことになった。そして大学院に進んでからは、ドゥルーズという一人の哲学者を専門とすることになった、というか、そういうモノグラフ的研究に行くしかなかったのだが、もっとサポートがあれば、各種研究を取り集めながら批評とは何かという問題を考え続けることもできたかもしれない。だが、結果として、ドゥルーズになったわけである。

このハタチそこそこの頃には、批評とは何かというメタ考察を考えなければ、ただ批評を書くということができなかった。それは若さである。専門がドゥルーズになり、30歳近くなって、僕は「メタ」批評を考えるのはやめ、ただ、批評を書くようになった。そのときには、いつの間にか、憑き物が落ちていた。

これは変なテクストであり、メタ批評論というプロジェクトに、当時夢中になっていたTortoiseなどのポストロックをどうつなぐか、というハイブリッドになっている。かなり無理くりに、当時話題になったホンマタカシの写真も接続しているのだが、最終部におけるその批評は不十分で、ある種の「ゼロ度性」を言うためにISO感度の喩えを持ち出すあたりも恥ずかしいけれども、そこでなんとか言おうとした「叙情」の問題は、今ならば「エモい」と言われる何事かに通じるものを言おうとしていたらしいとも読めるだろう。

長いレポートで、原稿用紙50枚、20000字なので、お付き合いいただくのは気が引けますが、お時間ありましたらお読みください……

記憶では、このときはボブ・ディランについてのレポートを同時提出したと思う。授業のテーマとしてはそちらがメインで、以下の文章は、佐藤先生にこれも読んでもらいたいということで付けたのだった。元気が余っていたんだなと思う。

(なお、文中の「混血児」という表現は、今日の観点からは適切でないと思うが、他のいくつかの語彙とのレトリック上の連関があるため、そのままとした。また、「自閉」という語の使い方も、かつてよく見られた用法である。そうした表現の古さはご寛恕をいただきたい。)

1 彷徨する〈叙情〉

最近、僕が気にかけている言葉のひとつに、〈叙情的〉というものがある。はっきりと定義できる言葉ではないが、敢えてその意味を説明するなら、「寂しいような、寂しくないような、うきうきするような、しないような、曖昧な心のふるえを誘う感じ」とでも言えるだろうか。さて、冒頭からいい加減な主観を云々しているとお叱りを受けるだろうから、さっそく弁明しておこう。僕の言う〈叙情的〉は、以上のように「積極的に」定義しようとすると、甚だ曖昧な、ほとんど何も言っていないに等しい、擬似的な説明に終始してしまう。けれども「消極的に」定義するならば、ある程度は正当な、議論するに足る批評概念として認められるかもしれない——ここで提案している〈叙情的〉とは、「寂しさ」でもなければ「嬉しさ」でもない、特定の感情形容詞には属さないような、心の動きを誘発するものである。特定できる内容を持たず、いつでも様々な感情形容詞たちの境界線上を漂い、周回し続けるようなエモーションの在り方。感情それ自体が放浪しているのだ。放浪の旅人が抱くような、いわゆる「孤独」という特定の感情形容詞とは区別せねばならない。ここでは感情それ自体の旅程に注目しているのであり、感情それ自体の「寄る辺なさ」が、〈叙情〉という現象の核である。〈叙情〉は寄る辺なく彷徨するのだ。

とはいえ、このような弁明をしたところで、〈叙情的〉なる概念の手前勝手な主観性を拭い去ることはできないだろう。僕がのっけから危険な賭けに挑んでいるのは、もちろんそれ相応の理由があるからなのであって、「あの絵画は〈叙情的〉だ、このメロディーの〈叙情性〉を聴け」などと、僕個人の独善的な「感想」を押しつけようとしているのでは決してない。今日の芸術批評がかかえる袋小路を打破するための、ひとつの危うい試み、それが〈叙情〉問題という賭けである。

〈叙情的〉、あるいは〈叙情〉という言葉はもちろん僕の造語ではない。手近な辞書を引いてみると、「叙情:直接相手の心に訴えるように表すこと」とある。この文面では明言されていないが、やはり〈叙情〉それ自体では、特定の感情形容詞を意味することはないようだ。ただ「直接相手の心に訴える」というだけのことで、その具体的な内容・性格は、時に応じて「寂しさ」とか「嬉しさ」とか色々なヴァリエーションがありうる、と解釈できるだろう。だが、僕が特に強調しているのは、〈叙情〉が様々な感情のヴァリエーションへと移ろっていく能力、つまり「分化可能性」そのもの、裏返して言えば、曖昧な「非決定性」の潜在能力そのものである。区別され、言語化される感情形容詞のヴァリエーションを可能態として保持している、首の座っていない〈叙情〉の幼児期、そこに問題提起を突きつけてみよう。

2 感想文フォビア(恐怖症)

さて、今日の芸術批評がかかえる袋小路とは、いかにして「美」を取り扱うかという、一見ごく単純な、しかし伝統的な問題である。少なくともこの点に限って言えば——いささか性急な断定かもしれないが——今日の音楽批評・美術批評は、共に最悪の停滞に陥っていると僕は思う。現代の批評的言説は、美を語るという行為、美的判断行為を、ある思想史的な要請に従って、自らに禁じている。その詳細な理由は後に述べるのだが、ともかく、批評的言説は、美的判断行為を直接に語ることができない⋯⋯または、その語り方に対して決定的に無知なまま、はからずも語ってしまうことがある、といった醜態さえ呈することがある。

のみならず、より問題的なのは、「現代の批評的言説は美を語ることができない」という端的な事実よりも、むしろ「美を語る言説の不可能性」、さらにはよりラディカルな「語ることそれ自体の不可能性」という不気味な穴の周囲をぐるぐると旋回することによって批評言説の「正当性」が組織されており、しかもその身振りが引き起こすだろう諸問題から、自信たっぷりに眼を逸らしているというイデオロギー的な状況である。現代の知識人は、「〜は美しい」と言ってのける言説を非科学的な「感想」であるとして排除し、自分たちは感想を書いているのではない、「論じている」のだ、と主張することで、自分の言説が知的な意義に満ち満ちていることを自負せんとしている。けれども、広く芸術、あるいはサブカルチャーをも含む文化的生産物について思いをめぐらすとき、そこに、美を感受=甘受してしまうごく無邪気な「感想」だとか、日常的には「感動」などと言われるような、心的インパクトがいつでも存在していることは確かであろう。では、この心の動きは、どのような方途をとれば「知的」に捕捉することができるのだろうか⋯⋯という既視感のある問題を再考するとき、この新しい疑問符の意義を、伝統的に美学が格闘してきたような美的判断についての命題と同一視しないでほしい。この同一視が、「感想」に対する、知的言説の無惨な無能力を助長してきたのである。現代の文化論が最も恐れるもの、それは「感想文」にほかならない。美学という便利な道具によって、感想文の存在根拠を「主観性」へと一元化し、〈外部〉化するという手つきは、知的言説に特徴的な恐怖症の顕れであり、改めて精神分析的に考察されるべき問題である。

このような態度とは違って、僕の問題意識は、十九世紀後半以後の特殊な思想史的コンテクストのなかで、「感想文恐怖症」という独特の症状が発症してきたという歴史性をふまえたとき、現代の文化的生産物へと取り組むディスクールにおいて、美的判断の次元、あるいは表象不可能・言語化不可能な心的インパクトの次元をそれでも言語化しようとする知の問題は、カント的な美的判断の主観性問題から出発してどのように再編成されるのだろうか、という点にある。〈叙情〉というキータームは、この問題意識を具体化するための触媒として、さらにサブカルチャーや大衆文化の領域へと表象文化論の知を接続するための作業仮説として——この問題意識は、大衆文化論を真摯に再構成することで、はじめて具体化されるはずだ——要請されたものである。しかしなぜ、彷徨する〈叙情〉なのか。その意味を説き明かすためには、まず、少しばかり美学史の方へと回り道をして、美的判断の主観性問題、そして芸術にかんする諸ディスクールの構成システムについて再考せねばならない。

3 美的判断と芸術論的ディスクールの構成システム

3-a 芸術論的ディスクールのタイポロジー

美をめぐる言説のポジションが、カントの第三批判、つまり『判断力批判』以後、おおよそ方向付けられたという見方は、広く受け入れられていると思う。カント以前には、たとえば十八世紀中頃の英国人エドマンド・バークのように、「理性と趣味の双方の基準があらゆる人間において同一であるという想定は充分に考えられうる」 と啖呵を切った者もいたが(エドマンド・バーク『崇高と美の観念の起源』中野好之訳、みすず書房、1999年、15頁)、その数十年後に出版された『判断力批判』では、美を判断する能力は「趣味」であるとし、美の普遍的・客観的な根拠を退けた——と同時に、美の判断は主観的=主体依存的、すなわち「政治的」であるという、現代批評の基本的認識を準備した。そのときから、芸術論は、近代科学の方法論と対決するなかで、二極のタイポロジーへと分岐しはじめた。ひとつの極は、「〜は美しい」という文を語らない芸術論であり、「芸術そのもの」あるいは「芸術のシステム」を感動抜きで分析する、芸術の解析工学である。フォルマリズム批評がその一例であり、構造主義において洗練を深め、現代の表象文化論の主流へとつながっていく。もうひとつは、「〜は美しい」という文を語ってしまう芸術論なのだが、カント以後、そして近代科学の制度化=アカデミズム化以後にあっては、果敢な挑戦であると言わねばなるまい。ある分析主体が、分析対象を「美しい」と形容することは、近代科学的=反証可能なディスクールから、明らかに逸脱している。「〜は美しい」という文に論理的に反論することできない、それゆえこの文は科学的〈分析〉ではないのだ。

一方、この二十世紀の手前には、見逃すことのできない分割線、美学と芸術学の区別が刻み込まれた。佐々木健一によれば、「美と芸術が重ならないという主張が顕在化してきたのは、十九世紀末のこと」 であるという(佐々木健一『美学辞典』、東京大学出版会、1995年、4頁)。逆に言えば、美と芸術の同一視とは、十九世紀以前の初期近代的な美学イデオロギーだった、ということだ。K・フィードラーは次のように言っている。

 美は概念からは構成されない。しかし芸術品の価値はよくこれから構成されるのである。芸術品は不快適なものであってもなおよい芸術品でありうる。美的判断はなんら事物の認識を前提しない。ところが芸術判断はただ認識によってのみ下されるのである。

佐々木健一『美学辞典』、同頁。

「芸術判断はただ認識によってのみ下される」というテーゼは、芸術の解析工学を支える理念である。こうして芸術学は、認識論的な立問によって芸術の構成(コンストラクション)を科学的に分析し、その意味論を膨らませることで、芸術の「価値」を認定する分野となる。一方、美的判断にかんする知の在り方は、美学と呼ばれる。これは、あくまで芸術と美とを切り離したうえで「美の体験」の認識論を禁欲的に試みるものであり、美学には芸術の「価値」を認定しようとする野心がない。美学的なディスクールとは、カントの『判断力批判』や、それを引き継ぐフィードラーの「美は概念からは構成されない」といった言明、つまり美についてのメタ論理、超越論的思考である——判断力批判とは、美的判断力を〈外部〉から批判するものであって、美的判断を行うものではないのだ。改めて強調しておきたいのだが、近代美学とは、先に述べた「『〜は美しい』という文を語ってしまう芸術論」とは全くの別物である。

ここまでの議論を整理しておこう。僕は、十九世紀末に起こった美学と芸術学のアカデミックな棲み分け以後、芸術あるいは美について思考する言語、すなわち芸術論的ディスクールは、次の三つの類型に分化したのではないかと考えている。

①芸術学:「〜は美しい」という文を語らない(認識論的)芸術論
②美学:(「〜は美しい」という文を語らない)美についての(超越論的)認識論
③芸術学ならざる芸術論:「〜は美しい」という文を語ってしまう芸術論

便宜的な用語法ではあるが、芸術論という言葉を、芸術についてのディスクール一般を指すものとしよう。対して芸術学は、近代科学的なディシプリンとしての正当性を保証された、アカデミズムとしての「客観的」芸術論である。それゆえ芸術学は、広義の芸術論の一部にすぎない。一方、美学は、必ずしも芸術について言及する必要はないので、芸術論/芸術学からは自律しており、さらに正当なディシプリンとして確固たる歴史を歩んでいる(より広義の「美論」なるものに含まれるのかもしれない)。さて、ここで浮上してくる問題は③の処遇である。僕が芸術論という広義の言説領域を仮定したのは、そうしないと③の存在を見落としてしまうからだ。諸々の可能な芸術論のすべてから①芸術学の性格をすっかり除去したとき、そこには「『〜は美しい』という文を語ってしまう」可能性、という要素が残っている。こうしてアカデミックな芸術学から排斥された芸術論を、仮に〈芸術学ならざる芸術論〉と呼ぼう。

以上、三つのモデルを想定したのだが、これらは理念的なモデルであり、実際に書かれ/話される「芸術あるいは美について思考する言語」が、三つの純粋なモデルにぴったり当てはまるわけではない。「美学」の省察が、ある作品についての「芸術学」に援用されるというような混血児もありうる。では、i)〈芸術学ならざる芸術論〉と芸術学、またはii)〈芸術学ならざる芸術論〉と美学などという混血児について、どのように考えたらよいのだろうか。

3-b 美的判断をめぐる二つのポリティクス、混血児としての芸術批評

できるかぎり丁寧に議論を進めるべく、上の三つの分類を遵守して、i)・ii)の二つの問題を立てたが、実のところ問われているのはi)だけであり、ii)は疑似問題としてi)に吸収される。というのも、〈芸術学ならざる芸術論〉と美学がミックスされるときというのは、いずれにせよ何らかの「芸術」が直接に語られるとき以外ではありえず、そうすると、「芸術と美とを切り離したうえで『美の体験』の認識論を禁欲的に試みる」という美学のディシプリン規定が犯されてしまうからだ。当然ながら、③との混血児は、③の規定からして、必然的に芸術を対象としていなければならない。したがって問題となるのはi)〈芸術学ならざる芸術論〉と芸術学の混血児のみ——「〜は美しい」という文を禁ずることによって、芸術の構造論的分析の科学性を維持せねばならないのに、同時に「〜は美しい」という嘆息を漏らしてしまうようなディスクールのみである。

この混血児に対してどのような距離をとるべきなのか、論者たちの間には、いまだ共通の見解がないように思う。「〜は美しい」とひとことでも言ってしまってよいものか、それともタブーなのか。主観的でしかありえない美的判断の言明を、自分自身に許可するのか/禁止するのか、という分かれ道はきわめて政治的であり、それも非常にラディカルな意味において、ポリティカルなのだ。あるものを「美しい」とか「醜い」とか、質の異なる判断を下すことによって、その主体を他者から区別するという差異のポリティクスではもはやなく、そもそも美的判断を行うか否か、というさらに根元的なポリティクスが問題となっている。これは表出/沈黙の政治であり、沈黙を選ぶとすると、端から見れば、その主体が美的判断を行っているのかいないのか、その「判断」さえ不能になる。

僕の考えでは、美的判断それ自体の表出/沈黙のポリティクスが、現代における芸術論、芸術学、そして芸術批評の根本問題である。そしてこの点こそが、「論」や「学」や「批評」といった、曖昧にしか分節化できない言説領域を、まさに曖昧に分節化している真犯人なのだ。「芸術学」では、繰り返しになるが、近代人文科学のディシプリンとしての正当な資格を確保するには、その主体個人の美的判断は、沈黙へと葬り去らねばならない。そこでは何よりも「客観性」と呼ばれる知の形式を遵守せねばならないのだから、仮に何らかの方法で積極的に美的判断に関わろうとするなら、それは「美的判断の客観的な認識論」、すなわち「美学」になるしかない。そのとき主体は、人間一般の精神活動の一部として標本化された美的判断の〈外部〉に立ち、超越論的な諸概念を駆使することで、〈分析〉を行使する。一方、近代人文科学のディシプリンにおいて、美的判断の〈外部〉に立つという超越論的特権性に訴えるのではなく、主体が美的判断と共にあるような状態とは——奇妙な自家撞着のようだが——特殊な状態でも何でもない、いつでもそうなのだ。

ことさらに「〜は美しい」と発語しなくとも、個人の美的判断は常に潜在している。つまり、沈黙させられている。なぜ沈黙するのか?もちろん、人文科学は「科学」だからである。要するに重要なのは、僕が「芸術学」という名前で囲い込んだディスクールが、近代人文科学のディシプリンとしての正当な資格を確保しているとしても、その主体は美的判断ときっぱり縁を切って、涼しい顔で仕事をしているわけではない、縁が切れているどころか、そこにはフロイト的な意味での〈抑圧〉さえ予感されるということだ。

では、「芸術批評」とは何なのだろう。これほど曖昧な領域も珍しいと思うのだが、少なくとも、芸術批評は芸術学に較べて、近代人文科学のディシプリンたるための禁欲主義から、もっと自由なのではないだろうか。批評においては、「一切の美的判断を沈黙せよ」という超自我的な命令が存在せず、むしろ美的判断の表出/沈黙のポリティクスは、批評主体の恣意的な政治性に左右される。もっとはっきり言えば、批評は美的判断を表出しうる、ということだ。そうすると今度は、芸術学にはありえなかった、別のレベルのポリティクス、「いかに美的判断を表出するか」というポリティクスが浮上してくる。

以上の仮定をとりあえず承認すると、前述の〈芸術学ならざる芸術論〉と芸術学の混血児とは、いわゆる芸術批評のことを指しているように思える。ここでもう一つ、新たな問題が出てくる。この混血児は、〈芸術学ならざる芸術論〉として美的判断を表出できるだけでなく、近代的ディシプリンとしての美的判断の〈抑圧〉をも含んだ、すこぶるモダニスト的な様態であった。単に、美的判断を無反省に表出するだけならば、それはほとんどプレモダンな言説である。肝要なのは、いま僕たちが考えている美的判断の表出という行為が、ある歴史的な〈抑圧〉以後、つまり芸術学の成立以後、その〈抑圧〉を傍らに見ながら行われる、ということである。それゆえここで問わねばならないのは、この混血児としての芸術批評において、そこに流れ込んでいるはずの芸術学の遺伝子、つまり美的判断に対する〈抑圧〉を本能とする遺伝子が、どのように発現しているのか、そしてその発現が美的判断の二つのポリティクス——第一は表出/沈黙のポリティクス、そして第二は、いかに表出するかのポリティクス——にいかなる影響を与えるのか、という問題だ。

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