戦うことでしか道を切り開けなかった男のけじめ 〜 映画『LOGAN/ローガン』〜



 アメリカン・コミックの『X-MEN』シリーズは、常に同時代性を孕んできた。ミュータントと人間の争いは多くのマイノリティーが味わってきたことを反映してるし、ホロコーストの生き残りという出自を持つマグニートーは、ナチスへの批判的暗喩としても機能するキャラクターだ。
 そうした『X-MEN』シリーズの批評性は映画版『X-MEN』シリーズにも受け継がれたが、その側面がより前面に出たのは『ウルヴァリン: X-MEN ZERO』(2009)以降だろう。『ウルヴァリン: X-MEN ZERO』は、超人的な治癒能力によって、南北戦争や世界大戦など多くの歴史的出来事に立ち会うことになるローガンの出自を描いた。そのため、必然的に世界史の一端を背景にしたストーリーとなった。これ以降は、キューバ危機を背景にした『X-MEN : ファースト・ジェネレーション』(2011)、ローガンが長崎に投下された原爆の被害者として登場する『ウルヴァリン : SAMURAI』(2013)など、より現実の出来事とリンクする作品が作られてきた。
 ただ、そこにはどうしても見逃せない問題がある。それは、その出来事が基本的に過去であるということだ。コミック版『X-MEN』の批評性を受け継いだといっても、映画版は同時代性の部分が薄かったように思う。もちろんまったくないわけじゃない。しかしこうした差異が気になり、映画版『X-MEN』シリーズを手放しで賞賛できない者も少なくないはずだ。


 しかし、そうした者たちも『LOGAN/ローガン』には満足するだろう。本作の舞台となるのは2029年、25年近くも新たなミュータントが誕生していない世界だ。ローガン(ヒュー・ジャックマン)は、アルツハイマー病の影響で強大なテレパス能力を制御できなくなったチャールズ・エグゼビア(パトリック・スチュワート)、チャールズの介護を手伝うミュータントのキャリバン(スティーヴン・マーチャント)と共に、メキシコ国境近くの廃工場で暮らしている。ある日ローガンは、ガブリエラ・ロペス(エリザベス・ロドリゲス)からミュータントのローラ(ダフネ・キーン)という少女を託される。最初はローラを疎ましく思うローガンだが、チャールズの言葉も手伝って、ローラの世話をする。ドナルド・ピアース(ボイド・ホルブルック)率いる部隊がローラ奪還のため襲撃してくるなど、さまざまな困難に見舞われながらも、ローガン一行はノースダコタ州にあるという“エデン”を目指す。“エデン”に到着すると、そこにはローラと同じ子供のミュータントたちがいた。子供たちは、追跡から逃れようとカナダ国境を越えるための準備をしており、ローガンも手助けすることになる。


 以上が本作の大まかなストーリーだが、これを読んですぐにピンときた者もいるだろう。現在のアメリカと深く共振するのだ。まず、現アメリカ大統領のドナルド・トランプは、アメリカとメキシコの国境沿いに巨大な壁を作るという構想を説いていたことで知られている。また、トランプが7カ国からの難民/移民受け入れを制限し、アメリカ各地の空港で実際に入国が制限されたとき、カナダ首相のジャスティン・トルドーは多様性こそ私たちの力だとツイートして注目を集めた。
 偶然にも本作は、こうした現実での動きをふまえたような作品に仕上がっている。これまでのシリーズ作とは違い、ミュータントは明確に迫害の対象となっており、ゆえにローガンとチャールズは人目がつかないところで身を潜め、“エデン”の子供たちはアメリカから脱出しようとする。これはまさに、コミック版『X-MEN』にある同時代性そのものと言える。


 さらに注目すべきは、ローガンがアメリカ史の表象を担っている点だ。先述したように、ローガンは超人的な治癒能力によって多くの歴史的出来事に立ち会ってきた。戦争、迫害、社会運動など、これまで人類が重ねてきたおこないを見てきたのは想像に難くない。これらのおこないは、誰かが血を流すこともあった。アメリカの歴史でいえば、2度の世界大戦はもちろんのこと、公民権運動の最中に起きた血の日曜日事件などがある。言うなればアメリカの歴史は、血に塗れているのだ。そんなアメリカの歴史を示すかのように、本作ではスプラッター描写を通して血が大量に流れ、その象徴としてローガンが存在している。特に、“エデン”の子供たちを逃がすために残された力を振りしぼる終盤のローガンは、鬼気迫るものを感じさせる。それはまるで、命がけで守ってきたものを失わないために戦う、そんな姿に見えた。


 ローガンが命がけで守ろうとしたものはなんなのか?それは“エデン”の子供たちだけでなく、その子供たちが暮らすであろう未来ではないかと思っている。『ウルヴァリン: X-MEN ZERO』でも描かれたように、ローガンは生きるための戦いを常に強いられてきた。しかしローガンは、戦いだけを求める男ではない。非人道的なやり方には疑問を持ち、自らが悪だと思った者以外の殺害には戸惑う。このあたりも『ウルヴァリン: X-MEN ZERO』で見られる姿だ。
 それでもローガンが戦いつづけたのは、守るためだ。自分の命、仲間のミュータント、そして“エデン”の子供たちなど、時代によって守るものはさまざまだが、自分から蹂躙的に暴力を振るうことはなかった。すべては生きるためであり、何かを救うための暴力だったのだ。時には辛い選択も迫られ、その象徴といえるのはジーン・グレイに爪を突き刺したことだろう。想いを寄せる人の命を奪うこと。それがどれだけ辛いかは想像してもしきれないが、ローガンはあまりにも多くの血を流してしまった。このことに想いを馳せると、心がギュッと締めつけられる。


 こうしたローガンの人生があるからこそ、ローガンがローラに残した言葉は心に響く。兵器利用の目的で作られたローラに、ローガンはやつらの目的通りになるなと言うのだ。暴力でしか道を切り開けず、そのせいで血に塗れてきたローガンだが、ローラには同じような道を進んでほしくない。血だらけの戦いがない、平穏な世界で生きてほしい。そんな切実な願いがあの言葉には込められている。
 そして、この切実な願いは本作を観る多くの人が持っていると思う。“エデン”の子供たちには、今も戦争によって命が危険に晒されている者たち、あるいはヘイトクライムなどの差別に苦しめられるマイノリティーなど、さまざまな姿を重ねることができる。しかし、平穏な世界で生きてほしいという点はおそらく一緒だろう。これこそ、あなたたちが生きる世界の希望なのだ。そう本作は語りかけてくる。

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近藤 真弥

ポップ・カルチャーが大好きなフリーライター/編集。批評スタイルは「群れずに是々非々」。主な仕事のまとめ : http://masayakondo.strikingly.com/ 連絡先 : acidhouse19880727@gmail.com

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