フィルム・ノワールの意匠に込められた、鋭い批評精神 〜 映画『三度目の殺人』〜



 だいぶ前に観た作品だが、是枝裕和監督の映画『三度目の殺人』の余韻がまだ残っている。こういう作品が全国規模で公開されるのか...という驚きもあるし、本作で見られるさまざまな要素についてあれこれ考える楽しさもある。

 物語の概要はこうだ。勝利至上主義の弁護士・重盛(福山雅治)は、殺人の前科がある三隅(役所広司)の弁護を担当することになった。三隅の犯行は、解雇された工場の社長を殺め、その後死体に火をつけたというもの。三隅はこの犯行を自供しており、死刑なのはほぼ間違いない。それでも重盛は、なんとか無期懲役にするため行動をはじめる。しかし三隅は何度も供述を変え、さらに動機が曖昧なこともあり、重盛は本当に三隅の犯行なのかと疑問を持つようになる。そして重盛はある日、三隅と被害者の娘・咲江(広瀬すず)に接点があることを知る。これまでの調査では明らかになっていなかった多くの事実も浮かび上がるなかで、重盛の疑問は深まっていく...。

 本作の物語は、その疑問を解明することが軸になっている。しかし筆者からすると、この軸は物語を動かすための一要素に過ぎないと感じられる。本作が伝えたいのはズバリ、司法制度の本質と、そうした制度のもとで生活することの怖さではないだろうか。裁判官や弁護士など、法曹の人々が効率のために人の人生を軽く扱っている様に、悪寒を拭えなかった。
 また、事実や疑問に蓋をし、自らが望む結末を実現しようとする人たちによって三隅の運命が決められる展開には、デマやフェイクニュースを真に受け、SNS上で憎しみを撒き散らす人たちであふれる現代を重ねてしまう。もちろんこれは推察だが、本作中では“正義”に見える重盛ですら、信じたいことを信じる人として描かれているのをふまえると、この推察は確信の色に染まっていく。

 画の面白さも本作の魅力だ。なかでも惹かれたのは、ガラス越しに役所広司と福山雅治を重ねるシーン。そのときの会話に出てくる「器」を表象していると気づくまでに時間はかからなかったが、あの秀逸な表象は何度観てもゾクゾクしてしまう。
 咲江とその母・美津江(斉藤由貴)がキッチンで会話するシーンも特筆したい。広瀬すずを正面から撮り、顔の右側を影で染めたコントラストの強いあの構図は、ジョン・オルトンといったフィルム・ノワールの要素を感じさせる。

 そんな本作は、内容と形式を最高値で共立させた驚異的な作品だ。

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