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色々と察する34歳

タイトル画像は、私が製作しているアクセサリーの素材である。我ながら美しい出来である。

ちやみにそのアクセサリーの詳細はこちらだ。

http://twitter.com/leprota_dana

さて、ここ半年くらい私が散々愚痴っているプロ作家になりたいが、夢も希望もない有様なのは以下の記事をご覧になった方々なら記憶に新しいだろう。

https://note.mu/masayukijump/n/neac436c5c37f

https://note.mu/masayukijump/n/nf63ed132ff9f

ちなみに唐突にプロになれる未来を予言したが、いい大人なので察している。

もしかしなくても、私は文章を創作することに向いておらず、イラストを描いたりビーズでアクセサリーを作ったり、手を動かした創作の方が合っているのではないのか?

期待値もひとしおに少なかったので、ビーズもアクセサリーも反響と呼べるものに素直に喜んでいたのだが、
前宣伝ほぼゼロでやってる割にはそこそこ期待値を超える成果を上げているのではないのか?

と気付いた。

アクセサリーやイラストを描いたときの周りの反応がまず違った。

文章ではあれほど興味なさそうで、いかにも夢破れて落ちぶれていて、これから先何も楽しいことないまま死んでいきそうだね。

みたいな顔して私を見ていた人間が一気に驚き、そして、私の作り出す世界に共感した。

34年間生きてきて母親の、あら凄い綺麗ね。という言葉をついぞ聞いたことがなかった私は、作っていたアクセサリーを見て絶賛する母親を見てたまげた。

もちろんここに、ヴィジュアルというもののいかに容易く評価対象および共感対象であるということの重要なことよという根本的な思想もあるのだが、ま、それは今は横に置こう。

反響の差が比ではないのだなと、気付いた。

ここまで来ると何となく察する。

ものを作ったり、美しいものを追う仕事の方が向いているのではないのか?

とはいえ、天命と夢とは剥離するものである。と、私は確信している。いやそうじゃないとやってられん。

私は、文章を書くことを諦めた。
辞めたのではない。
書くことが好きだし、書かないとやってられないのだ。書き続けて物語を紡ぐこと。それが私の夢なのだ。

叶わなくてもいい。
いや、何が何でも叶えてみせる。

ただ冷静に、自分の適性というものを見返しただけだ。

いや、悲しみと虚しさがこみ上げてくるが、これこそが人生である。
と、思っておく。







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