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25歳モラトリアムの春~ましろの草子4

1 はじめに


2023年4月28日、真しろの命は25周年を迎えた。お祝いの言葉をくれた家族やたくさんの友人たちには感謝の気持ちが絶えない。


25歳の春を、真しろは、故郷から離れたイングランドの小さな街で迎えることになった。もちろん真しろは修行に来ているわけなのだが、そこにはもう1つ、自分の未来に向き合う目的もあった。


今回は、25歳の春、ロンドンの霧のようなモラトリアムの中を生きる真しろの葛藤を綴ってみたい。何か結論めいたことを書きたいというより、迷い道をしている真しろの現在地を記しておきたいのだ。


2 透明なシナリオ


幼いころから、自分の目の前には透明なシナリオが広げられていた。幼稚園、小学校、中学校、高校と卒業して、大学も卒業して、就職して、結婚して、子供を作って、老後を迎えて、星になる。誰が書いたのか、どこで手に入れたのか分らないそのシナリオは、常に自分の中につきまとっていた。もちろん、いつもそのシナリオを無批判にめくっていたつもりはなかった。やりたいことを見つけて、目指したい方向に向かって、つらいこともそれなりに乗り越えて生きてきた。でもそうやって1つ1つの人生を積み重ねていくときに、必ず、その透明のシナリオをめくる音が周りからたくさん聞こえてきた。


そして今、25歳の春。同じく25周年を迎えた仲間たちは、就職するとか結婚するとか、そういう透明なシナリオのページを笑顔でめくっていく。彼らだって無批判にそれをめくっているわけではないだろう。夢が叶った人もいるし、お金を稼ぎたい人もいるし、両親を支えようとする人もいる。とはいえ、今まで以上に、春の風にめくれる透明なシナリオの音が耳に響いた。人生には正解はないし、それぞれに合ったキャリアがある。なんて口にする人はいるけれど、そんなのはきれい事なんだと思っていた。


3 モラトリアム


「モラトリアム」と検索してみると、元々は経済のコンテクストで使われていた言葉で、比喩的な意味で、「大学の卒業を伸ばしていること」という意味もあるようだ。


言語学の研究者になりたい。その思いは大学に入ってから芽生えたし、今も変わらない。しかし、研究を進めながらも常に心の中にあるのは、あの透明のシナリオだし、ずっと耳に響いているのは、あの透明のシナリオをめくる仲間たちの音だった。


・    どうせ就職したくないから研究者になりたいんじゃないの?

・    そんな研究して何か役に立つの?

・    そんなことしてないで働いたほうがいいんじゃないの?

・    好きなことだけして生きられるわけないでしょ。


そういう言葉をかけられたことはなんどもあった。分っている。透明のシナリオをめくって、普通に生きていけば、きっとこんなふうには言われない。そういう言葉に反論できるほど研究が進んでいるわけでもない。「社会に出るのが不安で大学の卒業を伸ばしているのがモラトリアム」だとしたら、所詮臆病者のすることなんだな。真しろの中で、弱腰になる気持ちだけが大きくなる日々が続いた。


4 モラトリアムで何が悪い


そんな真しろの気持ちに変化が訪れたのは、やはりこの修行場だった。イングランドに来てから、さまざま国籍やキャリアを持った人たちに出会った。なんども大学に通っている人。コロナ禍を経て、休学や浪人をしながら大学生活をゆっくり送っている人。休学しながら仕事を探す人。学生をしながら働く人。彼らはさまざまな国に住んで、さまざまな言葉を話して、そして自分らしい生き方をしていた。


故郷の日本にいたときの真しろは、常に、ある国の人はその国の言語史か話さないし、19歳は大学1年生だし、23歳は社会人だと思い込んできた。そんな考え方は古いと言われたって、周りがそうなのだからしかたないだろうと思い込んできた。


しかし、その考えは本当に古かったのだ。27歳の大学1年生だっていたし、30代になっても社会人になっていない人もいるし、さまざまな国の学歴を持っている人だっている。彼らは常に、自分らしく、自分のやりたいことをしているだけなのだ。野良とリアムでいたいならそうするし、道が決まっている人はモラトリアムなんて経験せずに生きる。すなわち、モラトリアムでいることは、悪いことではないのだ。


5 幻想のシナリオ


そう考えてみると、実は自分が思っていた、「透明のシナリオ」とやらは、実は自分が勝手に作り出した幻想だったと気づく。


透明なシナリオをめくっていると思っていた仲間たちは、そんなふうに生きているわけではない。就職が決まった仲間たちは本当に笑顔だったし、自分の進路にある程度満足して新しい季節へ踏み出していた。そして、いったんは就職して、いわゆる当たり前のキャリアを歩んでいる仲間たちの中には、少し迷いを感じてそのキャリアから離れた人もいた。「透明なシナリオ」をめくっているだなんて、そんなことを考えるのは、仲間たちに対しても失礼なことだった。彼らはそれぞれのシナリオを持っていて、それを透明に変えてしまったのは、自分の幻想のシナリオのせいだったのだ。


6 主体的モラトリアム、そして新しい季節へ


幻想のシナリオに呪われて、周りの言葉を気にして、ただただモラトリアムを怖がっていた真しろにとって、自分らしく生きる人たちは輝いて見えた。そして、修行場で1人になる機会が多かった中で、自分がなぜモラトリアムの春の中にいるのか考えることも多くなった。


別にモラトリアムだろうがなんだろうがなんでもいい。問題は、自分が主体的に、そこにいる目的を持っているかだ。あの輝いて見えるひとたちのように。霧の中でも、迷いの中でも、彼らは輝いていた。新しい季節へ踏み出した人たちは輝いていた。


こんなことは、命が25周年を迎える前に気づくべきことだったのは分っている。でも今からだって遅くはない。真しろはこの25歳の春、笑顔でモラトリアムの中を歩み、新しい季節へ向かっていくことを胸に誓った。命が30周年、50周年と時を刻んで、いつか星になるとき、ちゃんと輝けるように。


7 おわりに


大人になるスピードも、成長するスピードも、老いるスピードも、年齢だけでは測れない。25歳になった今、自分は思ったよりも子供で、思ったよりも大人だ。つまり、年齢で子供だとか大人だとかは分らない。ただ社会的には、もう子供とは認められなくなって、いろいろなサービスで使えていた若者向け料金もそろそろ使えなくなってしまうのか。

「おっさん」と呼ばれる日も近い。だからこそ、これからの命をどう使うかが勝負なのだ。ひとまず、残された修行生活はなりふり構っていられないだろう。


次回の記事では、モラトリアムを生きる中で改めて強くなった、自分の理想像について綴りたい。


それでは、今日はこの辺で。Have a nice day!

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