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B'zでゲンを担いだ夜。長渕でUターンした明け方。


世の中に B'z を好む人がたくさんいることは知っていた。日本を代表するヒットメーカーである彼らにファンが多いのは当たり前で今さら驚くことでも無いのだが、B'z のサブスク解禁をにぎやかに歓迎するタイムラインを見るにつけ、改めて彼らの人気を思い知った。すごいよね。 

アーティストへの思い入れにおいて肝になるのは 「必要な瞬間があったか否か」かもしれない。もちろん「好きか嫌いか」は感覚的で分かりやすいが、それと同じかそれ以上に「必要な瞬間があったか否か」は大きな意味を持つ。

大手デベロッパーで都市開発に従事しつつ休日にはジャズバンドでトランペットを吹く、スノビズムを具現化したかのような代々木という友人がいる。代々木なのに赤羽に住んでいる。代々木はリー・モーガンを神と崇めるハード・バップ信者で、僕らが生まれる以前の音源で埋め尽くされた彼のレコード棚は、その量も相まってそれはそれは壮観で美しく、代々木がイヤなやつだと確信するには充分なスノビッシュさを誇っていた。

にも関わらず、ことカラオケとなると代々木のセレクトは B'z 一択で、コンペに勝てば "裸足の女神" 、マンションが落成すれば曲名的にちょっと落成にはそぐわない "愛のバクダン" を熱唱する。

「そんなに B'z 好きだったっけ?」と尋ねたことがある。代々木の答えは「それほどでも。」だった。「ゲン担ぎかなあ。」何のためのゲンなのかは訊かなかったが、代々木に B'z が必要なことは理解出来た。


僕が敬意を持っている多々良さんという人がいる。この人は国の代表にもなった素晴らしいアスリートなのだが、若い頃にとにかく悪いことばかりが重なり追い詰められた時期があったそうだ。

もう人生を終わらせよう、今夜終わらせよう。「終わらせる場所」を探しながら、深夜、車を走らせているとラジオから長渕剛の歌が流れてきた。その歌に、歌詞に、涙が止まらなくなり運転ができなくなった彼は、路肩に車を停めひとしきり泣いた後、Uターンして帰宅した。以前、そんな話を多々良さん本人から聞いた。

長渕剛が歌ってくれたおかげで一人のオリンピアンが今も生きている。多々良さんは長渕剛が好きで、そしてこれからもおそらく必要とするのだろう。

音楽に限った話では無く、他人が好むものを「好き嫌い」で判じるとどうしても暴力的になる。思うのは自由だが言い切ってしまうのは想像力に欠けている。「おまえそんなの好きなの?センス無くね?」そんなセリフを若い頃はさんざん口にした。人が好むものを貶した僕が一番センス無いのにな。


「都市計画つっても結局俺がやってるのは地上げ屋だからね。」特に感情も込めず代々木はそう呟いて "ギリギリchop" を歌った。誰にでも大なり小なり物語があって、その物語に必要な BGM があるのだろう。

僕の人生で B'z や長渕剛が必要だったことは今のところ一度も無いのだが、これから先、たとえば B'z を「必要」とする時期が来るのかもしれない。人生において B'z が必要な時ってどんなものか今ひとつ想像がつかないけれど、願わくばそれは楽しい瞬間であってほしい。









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