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四月の魚に揺らぐ横顔


「丹波哲郎がシュウチョウの役やってんの。シュウチョウってインディアンの酋長とかのシュウチョウね。丹波哲郎が南の島の酋長なんだよ。あなたなら面白いよ。気に入るよ。」


そう言ってころころと笑う国分は、白くて細い体と美しい横顔の持ち主で、それだけでも喜ばしいのに、よりによって短髪だった。国分は他所の大学の院生で、僕は白くて細くて短髪の美人が好みの学生だった。


お互いの家に泊まりあうようになって数か月が経ったある日、急にバイトのシフトが変更になった国分は予定より早く僕のアパートを出た。手持ち無沙汰になった僕は油山観光道路沿いの比較的大きなレンタルビデオ店に向かうことにした。不意にあの映画を観たくなったのだ。「あなたなら面白いよ。」国分がそう言ってくれるなら。


運が良いのか悪いのか、その映画はレンタル棚からは脱落したようで中古ソフト販売コーナーで静かに僕を待っていた。500円、300円と値が下がった末、150円で叩き売られていたVHSテープをアパートに持ちかえり、一人再生する。とりとめの無い作品で控えめに言っても退屈だった。


見終わった僕は焦った。「あなたなら面白いよ」どうして国分はそう思ったのだろうか。いわゆる単館系映画マニアの国分は何をするにしてもセンスが良かった。僕もその手の映画は観ていたし、書き始めていた卒論もレオス・カラックスの三部作がテーマではあったけれど、それでも本質的には「ダイハード」が大好きで「メジャーリーグ」に興奮する、王道から離れられない「普通」の学生だったのだ。国分が薦めてくれた映画を面白いと思えない自分は、彼女の期待に追いつけていない気がした。


テープを巻き戻す。退屈な映画を好きになるためにもう一度再生ボタンを押す。「四月の魚」高橋幸宏主演の大林宣彦監督作品。尺が三分の一ほど進んだところで天神東宝のバイトを終えた国分が帰ってきた。突っ立ったまま少し呆けたように画面を見る彼女の白い横顔はやはり美しくて、僕は自然と上目使いになる。やがて座椅子に座りこんだ彼女は画面を見つめたまま僕にたずねた。「これ何?面白い?」


国分は「四月の魚」を見たことがなかった。


彼女は見たことも無い映画をなんとなく僕に薦めていただけだった。自分がそう言ったことも覚えてなかった。僕は彼女の期待に追いつけていないどころか、大した期待もされていない。つまりはそういうことだったんだろうね。


四月の魚。フランスではエイプリルフールを四月の魚( Possion d'avril )と呼び、他人の背中に魚形に切り抜いた紙を貼りつける習慣がある。もちろん相手にバレないように貼りつける。


「紙の魚を背中に着けて歩いてる人がいたら、それは『四月の魚』です。」


そんなスキットを大学の授業では見た覚えがあるけれど、実際に目にしたことは一度も無い。数えてみるとフランスで4月1日を5回過ごしているが、どの年も普段と変わらぬ月始めだった。


映画の試写会後、背中に「18B」という紙をくっつけたまま歩いていく女性の姿は見たことがある。椅子に貼ってあった急ごしらえの座席表が不幸な偶然で背中に貼りついたのだろう。その人は自分でもあずかり知らぬまま「18B」に座った事実を背中で主張し、そして去っていった。


そんな話をすると国分はころころと笑った。ころころ笑う彼女の横顔はもちろん美しかったけど、僕が勝手に抱いていた神秘性のようなものは消えていた。


国分に対して何かしらの劣等感を持っていた僕は、彼女を正面から見ず、常に横から盗み見ていたのだろう。彼女の横顔ばかりが鮮明に記憶されている。エイプリルフールときいて思い出すのは丹波哲郎の酋長姿と国分の美しい横顔だ。それは好ましい思い出だけれど、同様に美しかったはずの正面の顔はどこかぼんやりした記憶しか無くて、それが少し勿体無くも思われるのだ。



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