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若者がつまずく社会構造を考える~孤立・孤独に追い込む現代の3本の矢~(3本目)

若者の悩みを誘発し、深刻化させる社会構造
「孤立・孤独に追い込む3本の矢」

今日はようやく3本目
「自己責任論の風あたり」
について

そもそも、この話について書こうと思った発端についてはこちら☟

矢の1本目の話(社会の流動化)の話はこちらで

2本目はこちらからお読みいただけます。
それぞれ読んでいただければ嬉しいです。「いいね」いただければ小躍りしてます(笑)

自己責任論ってなに?

ようやく3本目の矢の話
お題は
「自己責任論の風あたり」
としました

自己責任あるいは自己責任論という言葉は比較的耳にしたことがある人も多いと思います

考え方の特徴としては
✅個人の自由と選択の権利を重要なものと考え、他者からの過度な干渉は権利侵害とみなす
✅個人が自らの決定とその結果に対して全責任を負う
✅社会的支援は個人の自立性を低下させ、依存心を生むので好ましくない
あたりが挙げられると思います

徹底的に個人を尊重するスタンスと言えます
個人の権利を最大限に尊重するので、その結果に対する個人への責任もMAX

個人的には、良し悪しはどうあれ、考え方としてのスジは通っている印象

なんというか、とても力強い考え方ですよね


日本は自己責任論の考え方が強い国?

そんなとっても力強いマッチョな自己責任論ですが
日本におけるこの考え方の存在感はどれほどなのか
それを考えるデータはあんまり多くはないのですが

個人的に印象的だったのは、ピューリサーチセンターが行った「グローバル意識調査」の国際比較データ

この調査の中に、「最も貧しい人を国は援助すべきか」という質問があるのですが
対象47カ国の中で「完全に同意・ほぼ同意」と回答した人の割合が最も低かったのは日本(併せて59%)

ちなみに、「全く同意できない」「ほぼ同意できない」と回答した日本の回答者の割合は38%で、約40%近くが貧困に対する社会的なセーフティネットの存在に対して否定的という結果でした

Pew Research Center 「World Publics Welcome Global Trade — But Not Immigration」(2007)より抜粋

ちなみに、この調査が行われたのは2007年なので、データの鮮度はかなり古い
ただ、かなり昔のデータだから、今は違うよ、といったところで、日本の回答傾向が改善されているかというとあんまり変わっていないのだろうなあというのが個人的な予想ではあります

2本目の矢「地域コミュニティの解体」の話でも紹介し日本財団の18歳意識調査のこちらのグラフでも
自国の社会は、支援や助けが必要な時、それを求めやすい社会だ☜45.5%が肯定的
✅自分が生きていく上で、他人に迷惑をかけないことは重要だ☜62.9%
あたりの数値にも、日本人の自分の権利と責任についての考え方の傾向値が表れているような気がします

能力主義と自己責任論

この自己責任論はどこから出てきたのでしょうか
ハーバード大学で政治哲学を教えるマイケル・サンデル教授は、能力主義と自己責任論の関わりについて言及していて

個人的には
「『自分が成功したとき、その成功は自分の努力と行動で得られたものだ』という考え方が、自分以外の人に向けられた時、失敗したり困難に直面した人に対して『彼がそのような状況にあるのは、その人の努力や行動が成功に値するにじゅうぶんではなかったから』という考えを持つことに繋がる」
という指摘はとてもよくわかる

何かに挑戦して成功できたとしたら、それは当然嬉しいものだ
私自身もそうだけど、そういう時はムラムラと全能感が脳内を駆け巡る
「俺ってやればできるじゃん、すげーじゃん」
と思う

でも、この時感じた「俺の全能感」が行き過ぎてしまったり
冷静に成功を振りかえることなしに自分の経験として保存されると
恐らくサンデル教授のいうような「能力主義⇒自己責任論」のコンボが成立しやすい状況になるのだろう

能力主義と社会の分断

サンデル教授は、能力主義から自己責任論への繋がりを指摘するだけでなく、それが社会の分断にもつながると指摘しています

自分の成功は自分の努力によるもの
あなたが成功していないとすればあなたが努力をしていないから
という言葉が、仮に困難に直面している人に投げかけられたとしたら、その人はどう思うでしょうか

ある人は
「ざっけんな、自分だって頑張ってるわ。でも自分だけで何とかならないこともあるでしょーが」
と憤るかもしれないし

またある人は
「くうぅ仰る通り。自分の努力不足。100%自分が悪い」
と悔しい思いを噛みしめて、独りで頑張る道を再び歩むことを決断するかもしれないし

何度も何度も失敗したり、複合的・複雑な困難の中で喘いでいる人がいれば、もはや言葉を口にする元気もなく、ただうな垂れて下を向いてしまうかもしれない

いずれにせよ、成功を100%自分のものだと捉え、失敗もまた100%その人のものだと捉えることは、感情的な分断を生み出してしまうことが多いように私も思います

日本社会に埋め込まれている能力主義⇒自己責任論コンボ装置

こと、若者にとって、自己責任論の考え方は結構浸透しているように思います

まず、自己責任論のつながり元である能力主義的な考え方は、幼少期から叩き込まれる人は少なくないはず

なんせ、
小学校受験・中学校受験・高校受験・大学受験・(大学院受験)・就職活動

努力が求められ、その結果が合否という形で明確に示されるチェックポイントがたくさんあるのが今の社会

ちなみに自分は小学校受験・高校受験・大学受験・大学院受験・就職活動ぜんぶやってて、しかも就職活動に至っては3回やってる(爆)

やった本人が振り返って思うけど、あれ全部ストレートで成功した人は、やっぱり「自分すげえ!」って思ってしまうよな、ってこと
(そういう意味で、自分は大学受験と就職活動でうまくいかなかった経験があったり、大学院在学中にひきこもった経験があるのは、ある意味良かったと思ってる)

俺やったぜ感は抑えられない

Youtubeでも、日々功成り名遂げた人達が自身の体験談をシェアしているし

あと、典型的だなと思うのは、筋トレとダイエットかなと

あれって
「自分がやろうと決めて、自分でやって、成功した」
という自己責任的な考え方を体験できる、誰でも挑戦できるという意味で最も民主的で
多くの人にとっての悩みの種である「健康」という心の琴線にも触れられるのでとても拡散的な行為
だと思う

もちろん、筋トレの心身に与えるポジティブな影響は間違いなくあるので、その行為自体の重要性はすごくよくわかるんです
一方で、それをシェアしていく行為には、やっぱり能力主義的な考えと自己責任論的な考え(を世間から評価されたい)という気持ちが少なからず含まれているように思う


若者を追い込む自己責任論

自分の努力を確認するチェックポイントやシェアポイントを成功裡に通過する人がいるなら、その反面にうまくいかなかった人がいます
たいてい、成功した人よりもそうじゃない人の方が多い

その時に、能力主義と自己責任論が強い社会から投げかけられるのは
「当人の努力不足。そうなったのはあなたの責任」
という言葉(に近いもの)なわけですが、
若者がこれに晒され続けると

「自分の失敗は自分が原因、だから自分がもっと頑張らなければいけない」

「他の人に相談したり、どうすればいいかなんて聞くことはできない
聞いたとしても、やっぱりまた「自分で決めた事なんだから自分で考えなよ」と言われるのがオチ」

という気持ちになる

真面目な人ほどこうなるし、自尊心が強い人もこうなる。真面目な長男タイプほんと気を付けてほしい(自分は典型的にこのタイプ)

とはいえ、失敗続きだと「失敗癖」というか
そりゃそうだと思うんだけど
何をやってもうまくいかない状態になりやすい

失敗というアウトプットを変えようと思ったら
インプットと自分を変える必要があるんだけど
それを自分独力で変えるのは難しくて
他者や社会につながってそこから新しいインプットを入れる必要がある
なのになぜだか社会の側がそれにNG出してくるので詰む
という構造があるので、最終的には

「何をやっても無駄だししょうがない」
という学習性無力感の状態になってしまう

そういう状態に追い込まれると
何かをやろうという気持ちが生まれないし
さらには社会とつながろうという意欲もなくなるので
ますます社会が繋がりにくく、支えにくくなってしまう

抱え込まない、社会の側から手を差し伸べられる関係であることが重要

ここまで能力主義と自己責任論について話してきたけれど
だからといって努力は要らないなんて言うつもりはなくて
むしろ何かをやりたい、実現したいと思った時に
自然と行動出力が湧いてくる

そういう意味では「努めて出力しなければならないチカラ」という意味での努力ではない
「なんか気づいたら出ちゃってて続いてるチカラ」という意味での努力はとても価値があると思っています
(これを読んでくれている方で、ここにビビッと来たのであれば、もしかしたらコーチングの中でお役に立てるかもしれません⇒詳しくはコチラ

have-to(しなければならない)ではなくてwant-toで出力される行動が大事

大事なことは
その成功(や失敗)が
100%自分自身由来ではなくて
周りの人や社会の存在があったこと
身近なところで言うと
自分の能力や特徴の遺伝的側面
・・・と固く書いてるのはちょっと照れ臭いからですが、親やその上の世代から受け継いでいる要素
も間違いなく要因としてあることをちゃんと認識したうえで他者と接する事だと思うんですよね

その考え方が基底にあれば
成功した時は自分を認めつつ、自分の周りにあるものにも感謝できるし
失敗した時は、誰かにアドバイスを求める自分に許可を出せる
失敗した人がいれば、自分なりにその人のためにできるステップを踏むこともできるんじゃないでしょうか

義務教育を終えて、一転じぶんの行く末をリアルに考えることを求められる若者にとって、そういう存在があるということがどれだけ心強いだろうかと思います

そういう大人が増えると、そういう社会になる。
そうしていきたいと私個人としては思っているし、実はそういう思いを共有できる人は結構いるんじゃないかなとも思ってる

ただ、きっかけがないだけだったりするので、できる人から、ちょっとしたことでも、その思いを行動という形で示していく事が大事なんじゃないかなと
そんな風に思います

とういことで
なんだかんだで矢の一本ずつを、個別エントリーで書かざるを得ないボリュームになってしまいましたが
これで若者を孤立・孤独に追い込む3本の矢の話として、先日のフォーラムで話したかったことはいったん補えたかなと!

ここまでお付き合いいただいた皆様、どうもありがとうございました!

最後に「スキ」マークポチっとしていただけると、次回エントリーを打ち込む手先の動きが如実に早まるのでよろしくお願いします(笑)

引き続き一緒に子ども・若者支援について一緒に考えていければと思います!

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