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KREVA『ひとりじゃないのよ』feat. SONOMI

先日、初めてキャンプに行った時、友人が音楽を流してくれていたスピーカーからKREVA『ひとりじゃないのよ』feat. SONOMIが聴こえてきた。KREVAという有名なラッパーとシンガーのSONOMIがコラボした楽曲である。


「懐かしいなぁ」
と思った。私が高校2年生の秋から冬にかけてよく聴いていた曲だからだ。人生に「病み期」があるとすれば、私の病み期は間違いなくこの高校2年生の秋から冬の時期である。病んだ私はよくこの曲を聴いて勇気づけられていた。

この頃は、大前提として思春期ということもあるが、色々なことがことが重なった。周りの人には普通に振舞っていたが、心はけっこう病んでいた?と思う。

まず、野球部に入っていたが高校2年から私がピッチャーをやることになった。ピッチャーをしていた同期が腰を痛め、ピッチャーを昔からしていた後輩が肩の手術をすることになったからだ。少人数の弱小チームなので、私以外に後はピッチャーができそうな人がいなかったため、私が肩を叩かれた。要は消去法的選択である。

傍から見ればおめでたいことだと思うだろう。ピッチャーに大抜擢されたのだ。確かに、ピッチャーは花形のポジションであるが、野球をやっている誰しもがピッチャーをしたいと思っているわけではない。今までずっと野手として野球をやってきた私にはピッチャーは難し過ぎた。

ピッチャーには打者に打たれない投球術や変化球に加え、プレートの踏み方や動作に細かいルール上の制限がある。それに加えて、ピッチャーとしての守備やバント処理、牽制の仕方など、覚えることは多い。ピッチャーは、本当に、ただ投げているだけではない。これらを一から覚えなければならない。

ずっと野手だった私が少し練習をしても、すぐには上手くはなれない。試合で投げるたびにたくさん打たれる。ランナーが出て、相手にどんどん点が入る。「もう投げたくない」「マウンドを降りたい」と何度も思うが、私が投げなければゲームが始まらないし、イニングも交代しない。

自分のが打たれて負けに近づいていく。マウンドには自分一人だけだ。「ピッチャーなんてやりたくない」そう思いながらプレーする野球は心の底から辛かった。おもしろくもなかった。

その頃は周りの友達と同じようにTwitterをやっていたが、「努力が報われるなんて絶対ウソ」的なツイートばかりしていた。本当に病んだヤバい奴だっただろう。


また私生活においてであるが、ピッチャーを始めた同時期に好きだった女の子にフラれた。(というかLINEブロックされた)高校2年になった時くらいから好きだった子とちょくちょく話したり、LINEをしたりなどして仲よくなった(仲良くなったと思っていたのはこちらだけ?)ので、デートに誘ったがこれが撃沈した。

後で聞いた話であるが、向こうはまず複数人で遊びたかったらしいが、こちらが強引にデートに誘ってきたので、拒絶したらしい。それからは私も怖くなって、卒業までも、卒業してからも、一度も話したことが無い。

パンケーキが好きだと言っていたので、「パンケーキ2人で食べに行こう」と言う感じでデートに誘っていた。私はパンケーキにあまり興味なかったが、デートが実現したらどんなパンケーキを食べていたのだろうか。


主にはこの2つの出来事があったので病んでいたというところである。今考えて、少し難しい言葉で言うと私はアイデンティティを喪失していたのだろうと思う。「野球選手としての自分」「野手としての自分」「ピッチャーとしての自分」「異性愛者としての自分」などに揺らぎが生じ、「自分」というものや自信を失っていたのだろうと思う。

そういう境遇から「何をやってもうまくいかない」「自分なんて」という発想に広がり、病み期になってしまったのだろうと思う。


話は戻るが、そんな自身喪失した自分に冒頭の曲がとても沁みた。特にKREVAパートの、

あきらめる事もできたあの日 正気 狂気 境目辿り
鏡の中真っ赤な目の顔に 一発 喝! あげる名のり
できることまだまだあんだろ だからまだ固まんなよ
イメージはそうだ水のように 自然にいつも通り flow!!

この部分にとても励まされた。この曲が無ければ私は・・・というほど大げさなものではないが、当時は何度もこの曲を聴いていた。
そんなことをキャンプ場で思い出した。



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