チャリティーイベントに参加して
今回はファミリーイベント。
告知からそれほど時間が経っていなかったのでどうなるかなと思っていたがそれなりに人も集まって楽しく過ごすことが出来た。
イベントをするからにはたくさんの人に来て欲しいし、今回は特に募金を集めるのがイベントの趣旨だったのでたくさん人が来た方がたくさんお金が集まるので良い。
個人的にはあまりたくさんの人が来るとそれぞれの人と話をする時間が少なくなるし、次に繋げたいと思っている自分にはちょっと大変なんだけど。
永住組はまだいいがワーホリなどの短期組は最初で最後になることもある。
今回は小さい子が結構いて、自分はもう子育てがほぼ終わりの立場なので懐かしい感じがした。
自分の子供たちが小さい時は本当にお金がなくてずっと仕事ばかりしていたから子供たちとの時間があまり取れなかった。
子供たちと遊ぶのは楽しい。
子供たちは純粋で観察力もある。
ふとした時に「あぁ、こういうシーン、昔あったな」なんて懐かしい気持ちになる瞬間がある。
心がキュッとなったりあったかくなったり。
二度と帰らない時間だと知ってはいた。
やれるだけのことはやった。
頭でこの時間はいつまでもあるわけでないとわかってはいたが、心のゆとりが少なかった状態ではあれが限界だったと思う。
知らないうちにたくさん日本の人が住んでいるんだなと改めて思った。
自分の知らないところでそれぞれの人生がある。
海外組として同じような経験をしてきた分、普通に日本にいるだけの時とはちがう何かが軽いつながりのようなものを生む感じがする。
生活をしだせばそこが生活の拠点になるわけで、仕事をして子育てをして時間は流れていく。
ただ場所がメルボルンだったというだけの話。
そして気づけば何十年もいるということになる。
長くいることが偉いわけでもなければ短いからダメだということでもない。
フレッシュな方が新鮮な目で色んなものを観察が出来ていい時もある。
自分が来たばかりの頃はなんでも珍しく驚きの連続だった。
それがいつの間にか慣れてしまった。
長くいる分の経験値みたいなのは溜まるからその辺の共有は大事かなとも思う。
自分がした、必要のない苦労を次の人がする必要はない。
そこは飛び越えてその人がまだ誰もしていない新しい苦労をすればいい。
そしてその次の人へ引き継いでいくみたいな感じで。
20代の子たちと話した後にふと客観的になって考えてみた。
自分が初めて海外に来た頃。
メルボルンの状況は全く違うが、自分が慣れ親しんだ環境から飛び出して新しい経験をするというのは同じだ。
学びが多かった。
いいことも悪いことも。
自分が来た時に色々教えてくれた人の立場に自分はいる。
あの人たちのように自信に満ちた態度で若者の役に立つことができるだろうか。
僕が人生のいろはを教わったのはほぼ仕事を通じてだった。
人生の先輩たちに本当にいろいろ教わった。
田舎者の自分が大阪に出てたくさんの人と出会ってたくさんの学びを得た。
ずっと昔のようでつい最近のようで。
積み上げたその僕の経験の中でそれを教えてくれた人たちが活き活きと生きている。
当時の口調やその場の雰囲気まで思い出せる。
本当にありがたい。
僕も次の世代のこの子たちの中で生き続けることが出来るのだろうか。
そうなるように頑張ろうっと。
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