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メルボルンで生きていく

子供ができて約20年間ただひたすら働いた。

その中でも家を買ってからの12年間は本当にひたすら働いた。


そして離婚。

何も残らなかった。


細かく言えば少しはお金が増えたけど、歳を取ったし体は衰えてくるし頭も昔ほどキレはない。


その時々で精一杯やった。

自己ベストではあった。


ただそれが今につながっているかといえばそうでもない。

自分が身を置く場所を間違ったのかもしれないなと振り返ってみて思った。


それも運と僕の実力。


とにかく家計のやりくりが大変だったのでずっと必死だった。

友達を作るとお金がかかるし、時間はとられる。

自分が節約することでしか家計に貢献できなかったので徹底的にやった。

そのおかげで自分の友達と言える関係はほぼゼロ。

後悔はない。

あの時のベストチョイスであった。


そのおかげでローンも減ったし金銭面においては精神は安定していた。

一時はギリギリいっぱいで明日のお金がない時も何度かあった。


振り返ってみて思うのは離婚してよかったということ。

あのままの人生では物理的な面においてはそれなりに満たされていただろうが、精神面で人生を振り返った時にあまり感慨深いものにはならなかったと思う。


前妻の生き方を否定するものではなく、ただ単に生き方が違っただけ。

僕の生き方の方が極端な気がするので少し申し訳ない気がする。


ただここまで生きてこないと見えなかったのも事実で、だんだん歳を重ねるごとに「なんか違うな」となっていった。


離婚した後はずっとしたかった旅をしたいなと思っていた。

気楽に色んなところに一人旅。

ところがすぐに良いパートナーに巡り合うことができた。

そして彼女はこの地に根を張りたい人。


最初はそれでも旅に行きたいなと考えていた。

でも色々やっているうちに考えが変わった。


何かの巡り合わせでメルボルンに長くいる。

本当に因縁だと思っている。


1995年にたまたま付き合い始めた彼女が二、三ヶ月後にオーストラリアにワーホリに行くことを決めていた。

それまで海外に行くことなんて考えてもいなかった自分がそれによって海外に行くことになる。

当時はシドニーかメルボルンか。

日本人の少なそうなメルボルンにしよう。

そんなノリだった。

6ヶ月間滞在した。

そしてメルボルンを離れブリスベンに向かった。

もう二度と来る事はないと思った。


それが2000年にメルボルン出身の前妻に大阪で会って恋に落ち、またメルボルンに戻ってくることになった。


それから24年。

もうすぐ人生の半分になる。


でも長く住んでいる割には知ってる人は少ない。

仕事ばかりしていた。

一人が気楽だと思っていたのもある。

家族のことが優先。

家族といっても妻側がメイン。

そうすると別れてしまえば何も残らない。


仕事ばかりしていたので子供たちともそれほど繋がりはない。

もう息子たちも大きいので父親が必要な年齢でもないが。


僕と自分の父との関係のようだ。

父も必死に働いてくれた。

自立心が強かったので高校を卒業してすぐに一人暮らしをした。

だからそれほど会うこともなかった。

そして海外に出るとなおのこと会うこともない。

たまにしか日本に行かないので、会ってもそれほど話すネタもない。

ネット越しに話せるがネタがないと結局続かない。


父には本当に本当に心から感謝をしている。

父があれだけ頑張ってくれたから自分がいる。

それを深く深く心に刻んで生きています。


そして人生ここから。

どうすれば充実感を持って日々を生きていけるのか。

僕の同僚たちは今日も残業残業でお金を追いかけている。

それはそれで良い。

僕もそうだったから。


ただこうやって人生を見直す機会を与えられた今、もう昔のようには生きたくはない。


資本は普通の体と頭。

お金がたくさんあるわけでもなく、見た目がいいわけでもなく、話が上手いわけでもない。

そんな自分が持っているもので使えるのはここにいた時間だけなのかなと思った。

旅をして色んなものを見て食べても面白いけど、自己満足で終わってしまうような気がする。


何をしようか。

ちょっとずつ見えてきたような感じがする。

一人も気楽でいいが、わざわざ人ごとに巻き込まれるのも悪くないような気もしてきた。

巡り合わせに身を任せつつ、何年か後にはどうなっているか楽しみだ。

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