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料理の大切さが見えなくなった現代人

生き残るために、最低限の食材を集めてお母さんの家庭料理の味を思い出しながら再現する。自分の前に存在している簡単な料理は、経験と思い出を活かして、世界一の美食になるだろう。

土地から生まれたもの」「時間をかけた発酵食」「シンプルな調味料」の最高な仲間がいれば、どんな貧しい生活をしていても生きる価値が現れてくる。あるものと時間に家庭料理の思いがあれば、貧しい生活の中に贅沢な時間を感じられるようになる。食べられるのが当たり前ではないことから加工食品、進化、新技術の時代になった結果、考えずに何もしないでいつでもどこでも食事をとることが数秒でできるようになった。

調理される前の形すらわからない。スーパーに足を踏み入れない。お腹がすいた時だけ、食事のことを考えて食べる。季節の味、思いやりの料理、家庭料理の知識が少しずつ減る中で、加工食品で本当の味が楽しめない。

料理をしない現代人は最初から料理の苦労や楽しさがわからず、経験もなく生きてきたから世界一の美食の存在も知らない。価値観が薄くて、流行っているものに手を出して完食せず、食べ残す傾向にある。食べたい気持ちもそもそも、ない。
流行っている料理、スイーツ、お店をSNSに投稿する目的が多い社会問題にもなっていると言えるだろう。

ファストフード、ファストファッション、ファスト〇〇が少しずつこの地球だけではなく、人間まで殺している。地球と人間との繋がりが、いや、その薄い赤い糸が戻れない国境を既に超えていると見えてくる。
注文してから数分で出てくる食事、食べたいものは既に並んでいて何となく選ぶ。食べる楽しさも薄く、食べた後の思い出もなく写真を見返したところで無感情。

全ての食事はこうなっていると言い切れないが、長い目で見るとこうなりがち。食べる方と作る方のスペースが縮んでくる。ドミノのように食品ロス問題も悪化してくる恐れがある。

食べることは当たり前で困らないという考え方にならないように、自分で作ったり家庭料理を再現したり、読書から日記まで「味と言葉」を一つにすれば地球を少しだけでも救える。

感謝をして、大切にして、人生の経験になって、考え方の成長もできる。食事はまるで、家族の一員のような存在に変えて、最後の一口までしっかり食べた後に「ご馳走様でした」と。今日食べたものは次の食事で食べられるかどうかわからないから、次回の食事は「遠距離恋愛のように、長く会わずに、やっと会える日が来た」のような気持ちになれるようにすれば、世界一の美食になるはず。

自分の行動力で現在を変えるチャンスがまだあると思うから、あるうちに知識にして味噌汁からでも始まればいい行動だと思う。

Massi

みなさんからいただいたサポートを、次の出版に向けてより役に立つエッセイを書くために活かしたいと思います。読んでいただくだけで大きな力になるので、いつも感謝しています。