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涙が止まらなかった日から20回目の誕生日

紫陽花が大好きな庭師である父は今日、お誕生日。お誕生日だった。
一緒に最後のお誕生日をお祝いしてから20回目の誕生日。20回目の紫陽花。

44歳の若さで、あの世に行ってしまった。
10月1日に交わした言葉が最後になるとは思わなかった。その年の1月18日は最後の誕生日になるとは思わなかった。あれから20年経ったけど、涙だけ止まった。悲しみ、寂しさ、会いたい気持ちは当時と変わらず僕の胸に存在している。

1月18日と10月1日は父が好きだったものを食べると決めている。食べるときは2人の思い出が涙でぼんやりして、「青空に雷」のような孤独に襲われる。一瞬だけど、心に響く。当時の苦しみは1ミリも変わっていない。支えてくれた全ての選択肢に感謝。一瞬だけでも、父の緑色の瞳を見て抱き締めたい。亡くなったことより、再び出会えないことの方が痛い。

今の僕は、きっと父が蒔いた種なのだ。
日本語を勉強したいと言った時も反対しなかった。

「自分の道を自分で決めて、成功すれば自分のお陰だ。失敗したら自分のせいだ。どちらにせよ、行動しなければ、今の自分すらいない」

父のこの言葉は昨日言われたような感覚だ。

子供の時に叱られて喧嘩をしたことがあるけど、母との喧嘩より仲直りが早くてすぐに笑顔に戻れた。シンプルな会話で喧嘩したことは嘘のようだった。父の好きなところは、自分のことをコントロールできること。どんなことがあっても冷静に考えて動いていた。

父の影響で自然が好きになって植物に興味を持てるようになった。
日本の自然を自分の目で見て欲しかったけど、悲しいことに間に合わなかった。
父が日本に来れなかったからこそ、僕が父の代わりに日本の自然を大切にしていくと決めている。毎年、たくさん紫陽花がある公園に行って父と会話している。

紫陽花の育て方を教えてくれた父のことを未だに、忘れられない。
日本は紫陽花が多いと気がついた日、父との繋がりを強く感じた。日本への道は紫陽花にあった。

今年も紫陽花を楽しみに待っている。父に会える。

Massi


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