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『毒になる親』 スーザン・フォワード著

母が、失明につながる可能性のある眼底疾患と、車椅子生活を視野に置かねばならない脊椎疾患を併発し、毎週2~3日地元の医大病院通院を余儀なくされ、近隣に住む私が介助する生活が続いている。

本当は馬の合う私の妹に介助して欲しいのだろうが、遠隔地在住のため、私で我慢していると推察している。

母と私の相性は最悪である。

幼少時から「お前など産まなければよかった」「あの子に比べておまえは…」などなど、絶対に子供に使ってはならない言葉をあえて羅列しているとしか思えない煤煙を常に私に浴びせかけ、父に私の所業や言動を意図的に歪曲して伝え、父親に自分を殴らせて(故父はひどいDV親だった)悦に入っていたり、嫌がらせのように、私を何度も精神病院に連れて行ったり、それはもうナチス親衛隊も臆するほどの毒親であった。

幸い、私は祖母の寵愛を得、救いの言葉を常にかけてくれていたので、私は道を逸れることなく、反社組織に属することもなく、テロリストにもならず、当然のなりゆきのように表現者になった。

20年以上前に出会ったこの本、「毒親」という言葉を人口に膾炙する火元になった著作だが、私のほうがよほど苛烈な体験をしていると思ったし、読む度に補足をしたくなる欲求が湧いてきて困る一冊である。

さて、そんな親子関係であったが、私は今、車椅子を押して、通院先の病院内各所を検査診察のために徘徊し、介護の申請に奔走し、ご飯を作ってあげている。

「心頭滅却すれば火もまた涼し」が今の座右の銘である。

親子関係を一言で表現するならば、みんなはどう形容するのだろう。

私ならば「究極の腐れ縁」である。




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