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高校教師の遅れ/新たな世代を前に素人に

高校の先生は、どうしても、時代が一つ、遅れてしまっています。
 
子どもたちの変化を先に見ることができるのは、小学、中学の方が早い。
それと比較すると、高校の先生方は、1サイクル、子どもたちの変化が遅くやってくるんですね。
 
 
それで、当然、スタイルを変えられていない。
 
危機感ももう少し薄い。
 
 
何より、対応対処をどうするか、ここが遅れてしまっています。
 
 
子どもたちから直接聞くと、やはり、今もそんなことをしているの?というスタイルの先生方が多い。
 
 
先日も、明らかに、生徒を「ディスる」言葉を、
複数の先生から浴びせられた、そんな子がいました。
 
言葉の使い方一つとっても、価値観がものをいいます。
 
先生は何せ、何が悪いか、わかっていない。
 
この言葉、この物言いが、今の子には理解できず、加えて、ディスられたと感じてしまうことに気づかない。
 
そういう先生サイドの遅れ。
 
 
僕ら中年世代なんかは、ド・昭和世代ですけれど、その時代は、檄を飛ばすみたいなこと、厳しいことを言うけれど、"それが子どものためになるのだ"信仰みたいなものがありましたよね。
 
もちろん、この時代は、これでよかった。
 
それには、そういう共通認識が、社会全体にあった、だから納得ができた。先生も子も、です。
 
でも今は、ないんです。
 
 
ないんだから、ない世界の、それがない社会の価値観で、ちゃんと子どもを理解し、導かなければならない。
 
 
そういう言葉遣いや声の掛け方を、大人の方も学ばなければならないのですね。
 
 
何よりも、今の子どもたちの進化(変化)は早いのです。
 
先生特有の鈍感さ、社会感覚の薄さ、ゆえ、気付かない。気付けない。
 
 
せめて、先生こそ、一番の学び手であって欲しい、のが一般の感覚なのですが、残念ながら、それは期待薄でしょう。
 
 
こうして、かつてのプロは、プロではなくなっているのも、現代で起こっている現象でもあります。
 
 
 
 
高校の先生の(新しい特性を持つ新しい世代への対応の)遅れ。
 
一刻も早く、動かないと、気づかないと、
 
この後も、高校では、様々な不具合が続くことが予想されます。
 
 
 
予測はしてきましたし、すでに何度も言及してきましたが、これが気になることの一つです。
 
 
(おわり FB投稿より)




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