見出し画像

感情のままにただ突き動かされるだけ/地方での社会問題解決が進まない訳

感情のままにただ突き動かされるだけ。

そういうのが日本では結構、チヤホヤされてきたわけだが、これでコトが動かない、世にある問題や仕組みなど、何も変えられないことも明らか。

ボランティア(またはそれに近い取り組み)にしろ、社会問題への取り組みにしろ、ただ感情のまま、あるいは、ただ自分の好き嫌いで走っているだけでは、何の解決も生ないだろう。

では何が必要かというと、

・知識や教養、それらを総じた知性
・抽象度の高さ
・論理的思考
・エビデンス、科学的なそれらを向き合う適切な態度

なのである。

特に地方では、(都市部の方の想像できない次元で)、こうした内容それ自体が通じないという難しさがある。

社会の様々な問題にアプローチするとき、感情とそこにある好き嫌い(場合によっては自身の欲)だけで物を見聞きし選択し行動していても、やはり良い結果を生むのは難しいだろう。

そこに制度があり、法律があり、仕組みがあり、多数のステークホルダーもいて、立場の違う人たちが多くいる。そんな中で、感情と好き嫌いを押し通すなんてことは、そもそも無理なのだ。


そうなってくると、先に書いた論理的思考とその議論のための作法、さらには、制度や行政、関わる人や仕組みを俯瞰できるだけの、高い抽象度が必要になるのだ。


僕らは常にこうしたスキルと視座で、問題や課題にアプローチできるチームであり、そういう人たちでつながっている。

それをやり続ける。


逆に、ここで言及する点が見えない人たちと、何かをするのは難しいとも言える。


現実としては、ここでする話が、通じる人があまりいない。
あまりいなから、問題解決に向かえないまま、進展も改善も進化もないままなのだ。

このことは、地方の大きな問題点であるから、ここに書いておく。



いずれにせよ、書いていることの伝わる方と、すべきこと、必要なことを、しっかり前に進めていきたい。

弊NPOには、すでにスキルもノウハウも知恵も経験も、かなり蓄積されている。全国に先駆けて現実化できるだろうスキームもすでに見えている。


感情や好き嫌いだけではできないことが多い。

それはそれを突き進められると、多くの人が被害を被る可能性すらあるからだ。特に、公共性の高いもの、社会制度に直結するようなものは尚更である。


そういうものにつきあうこともできないし、社会に真に必要なことをしっかりと見定めいかなければなるまい。

僕らはそういう道を進む。


おわり

記事を気に入っていただけると幸いです。NPOまなびデザンラボの活動の支援に活用させていただきます。不登校および発達障害支援、学習支援など、教育を通じたまちづくりを行っています。