皆さんに問います/教育のこれまでとこれから/山口県公立高校入試を受けて

入試・受験に関わる話を少し。

そもそも今の入試は、入試のことだけではなくて勉学全般をどう捉え、進めていくか、というのが考えられた結果、その姿があるわけでして。

じゃあ、国(文科省)としては、どこを目指そうとしたかというと、
詰め込み・暗記・パターン学習という、単なる点数稼ぎのための勉強は本来の姿じゃないのだから、それをまず打破しようとしたんですね。

そこで当然の如く、それらのアンチテーゼとして、読解力とか、思考力とかキーワードも出てきたわけです。

入試の問題だって当然変わる。その変わった姿はもうここ何年かで出現してきた、「その場での読解や思考を問う問題」、「暗記やパターンだけに頼らない問題」な訳です。

でこれって同時に言わんとしてることがあって、

それは、

塾みたいな場所で、点数至上主義の下、パターン学習や暗記による受験対策をできなくしたい(限りなく影響を小さくしたい)、ということなんですね。


意味もわからず詰め込み勉強をする子どもたち。
これを助長したのは、"民間塾の過剰な受験対策だ"というのがあったんですね。


加えてここには、
勉学そのものが詰め込み・暗記、パターン学習になってしまうという弊害だけではなく、もっと他にも弊害になることがあったんですね。

それは、格差の助長という弊害。

今もよく指摘されていますが、受験は「親の課金ゲー」に成り代わってしまうんですね。お金があればあるほど、塾に課金できる。
そうでない家庭は、受験で不利になる。

そういう捉え方があるんですね。これは今もそう。

国としては、格差を助長してしまうものの存在は、やはりまずいんですね。



もちろん、僕から言わせれば、まだ他にも弊害はあるんです。

民間塾に「お金を出して通う」ことで、お金で点数を売り買いするという、損得だけで勉強を見る、勉強を測る、そういう子どもたちが増えてしまう。

え?損得で、勉強しているの?しかも、それはお金、って、結構、たちが悪いと僕は思うんですよ。


社会学者宮台真司氏の言葉を借りると、「損得マシーン」になる。

友情や愛情、絆、仲間意識なんてものは置き去りにされて、得だからやる、損だからやらない、そういう振る舞いを子どもたちが当然のように身につけていく。

そうして大人になる。

これ、かなり厄介で深刻な現代病なんですね。


考えてみてください。

おそらくこれまでヒトが本当に大事だと考えてきたものは、「お金では計れないもの」だったはずです。
他者を思いやる心、優しさ、愛情、友情、心遣い、絆・・・いずれも、お金に換算されることはありません。お金どころか、損得勘定すらそこにはないはずです。

ところが、そうじゃない世代の現状が生まれつつある。それが損得マシーンなんですね。

残念ながら、民間塾がその主たるフィールドとする、過剰な受験競争や学歴、偏差値の争いは、子どもたちに損得で振舞うことを教え続けることになる。

接する時間が長いという点でも、損得でする受験勉強が子どもたちに与える影響は計り知れないでしょう。

大量の損得マシーンが育つことは、共同体の衰退にも大きく関わる問題でもあります。この辺りはここでは省略しますが。



話を戻しましょう。

入試の姿は国が主導して、詰め込み型が通用しないものへと変貌してきました。
すでに従来の塾のやり方では、もう受験対策なんてしようがないんですね。
先述の通り、それが狙いだから、です。


じゃあ、どうするかというと、当然ながら重要になるのは、学校なんですね。


ジャジャーン、待ってました、ここで我ら学校が、暗記やパターンや、点数稼ぎではない、意味のある勉学や学びを提供しまーす、と、颯爽と出てくるわけです。


ところがどっこい、本来ならこれで機能するはずの学校も、今は、その役割を果たせないほど弱っている。
弱っているというより、(これも以前から記事にしていますが)、むしろ、現状としては、点数稼ぎを教える塾のような場所になり変わってしまっている。

これじゃあせっかく(自らが)回してきた役割を果たせないわけです。

長くなりましたが。



本題。


本来、国(文科省)が舵を取ってきて、ジャジャーン真打登場、と自ら準備してきたはずの舞台が整わない状況になっている今。

(国が)自ら用意してきたはずの「思考や読解を要する入試問題」を、(国の出先機関、末端機関である)学校は、子どもたちが解けるほどには、十分に指導しきれないという現状が生まれるに至りました。

子どもたちのそもそもの学力低下は深刻で、学校の先生も途方に暮れるしかない現状ですから、読解や思考なんて、現場からするとそれどころじゃない、みたいな感じになってしまうんですね。今のままだと。

国が掲げる理想と、授業レベルの現場とのギャップ。
さらには子どもたちのさらなる学力低下。

頭を抱えるばかりです。


問います。


この先にあるものは一体何なのでしょうか。

何を目指し、何が現実的なのか。

どこで手が打てるのか。

皆さんに、問います。



(おわり)FB投稿より



小・中コース 僕担当。高校コースは2人の博士が担当する個別コース。

教育熱の低い小さなまちで。全国に先駆けた教育、学びの場を。
大半の人にとってあんまり想像できないとは思いますが。




 


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