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父の人生を変えた『一日』その78 ~電機業界デビュー~

その78 ~電機業界デビュー~
 当社の営業部・経理部と会社の格付けについて会議を持ち話し合っていた。経営事項審査での点数について問題になった。それでは私がこの件について説明しようと言った。
皆、唖然としていた。資料を提出すれば官庁がただ点数をつけてくれる物とだけ了解していた。全ての事項について詳しく説明した。電機業界からも経営事項を良く説明してほしい旨の意見が相次いだ。特に経理部の女性担当や会社の経営を見ている社長の奥さんなどからもそういう提案があった。そしてライオンは電気業界で講義した。素人でも解るように講義した。それからも電気業界も色々と勉強し始めた。ライオン、まさに電気業界でのデビューであった。
 工事組合でもそういう話しになった。理事長の会社経営事項審査をスライドで出して説明した。理事長の顔が真っ青になった。「これはプライベートの侵害では?」といった。会社の資産から借金の全てから全くの赤の他人に見られることになるのである。そこで言った。
『これが官庁工事、国や県の仕事をする人の点数付であり格付けてありしかも白日の下に公開する。それをしないと官庁の仕事は出来ない』と。今は誰もが何時でも見られることになっているが当時は色々を賛否両論であった。そうしてライオンは電気業界にのめり込んでいった。電線や配線の専門的な事は解らなかったが財務知識・経理知識から電気業界に殴り込みをかけた。それが一番早いライオンの顔見せ興業であった。


~倅の解釈~
 親父の電機業界デビューはやはり財務関連であった。電気工事についてはまったくの素人であった親父。他社の電気工事企業の社長様は職人であったり、電気設備工事の施工管理に従事した経験者が多数。そんな中、親父が唯一勝負できるフィールドが総合商社マン時代に培った財務の知識と見識であった。
 とにかく徹底的に数字を追求することが親父の流儀。勿論、自社の数字は社内で完全にオープンしており、各部の部門採算にこだわることから水澤電機の経営にメスを入れ始めた。当時の経理担当者は大変だったかと思う。突然、大手企業から来た人間から大手企業バリの要求をされるのであるから。営業にも徹底的に力を入れたかと思う。親父が前線で営業を水澤電機でしている姿は見る機会はなかったが、業界、財界での顔の広さがすべてを物語っていた。私なんてまだまだである。
私が長岡に戻り不思議だったのが、営業所として首都圏に構えていた東京営業所に対する成長、改革などがほとんど為されていなかった事。今振り返ってみると、もしかしたら、この関東への本格的進出に関しては、私に残してくれていた仕事だったのかもしれない
親父が亡くなってからも親父のネームバリュー、先代のネームバリューで商権を頂いている。これは本当にありがたいことであり、大事にしていきたい。もともと親父の社長室であった部屋には私はまだ入ってない。社長室を設けていない。何か自分自身で納得がいくタイミングを見計らっている。そこには、親父が亡くなった夜に受注した電気工事の見積書が飾られている。死ぬ日まで商人道を貫き通した。

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