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父の人生を変えた『一日』その70 ~再スタート~

その70 ~再スタート~
 20年前に着任してから3億8千万円あった借入も全額返済し新社屋もできあがり自己資本比率も55%を越えて何ら問題なく会社は廻っていた。やる事成すこと皆、巧く廻っていた。それが骨肉の争いこんな目にあうとは全く腸が捻じれかえった。これくらいで負けてなるかお前は『ライオン』百獣の王だと自分に活を入れた。そして冷静に今回の事態を解析してみた。要は私が着任した時の当社の財産を全て一族に返納し儲けのカスで今の会社があるのだと考えていた。超優越資産をもつ別会社あるのだとしっかした認識理解した。
 当時一番面白くないと思った言葉は一族が『働なくても完全に食べていけるようにしてくれ』と言う言葉だった。創業一族。それはそれなりに大事にしてきたし、だからこそ若草町に大豪邸があるのであってそれなりの待遇はしてきたはずであった。人間の欲そして自分勝手な行動その辺の理解しがたい仕打ちには全く閉口してしまった。
やはりライオンは㈱トーメンのライオンであるべきであった。尊敬する創業者の親父さんが頭下げて会社経営してくれと訴えたあの顔があったので親しきアメリカ人に別れを告げて総合総社に別れを告げて木材業から脚を洗ったのであった。もう戻れない。帰れない。今の状況下で最大限に頑張ろうと顔は電気工事業・家電販売業の顔になっていた。さあ、もう一回人生の再スタートやり直しが始まった。


~倅の解釈~
 同族の骨肉の争いの最中、水澤電機に入社した私。役員会で決まった私の教育方針が下記であった。
・3年間 内線工事部
・2年間 配電部
・2年間 営業部
 上記の条件をクリアして、はじめて役員に昇格して経営陣の仲間入りをするというものであった。つとめていた商社を退職した時はてっきり即戦力ということで営業部になるかと想定していたが甘かった。月収も商社マンの時を大幅に下回り手取り15万。高卒の社員と同等でスタート。
腰道具をして毎日現場に向かった。ただ、現場、工事という職種は一日の中で空く時間も多く。入社して1か月程度たったところで当時の代理人に許可をもらい内部のことを暇なとき分析し始めた。特に経理関係を見始めた。資材の仕入れ、購買のあり方などなど。そして1カ月が過ぎ、
次は営業関係。クライアントのマーケットがどこにあるのか。メインクライアント比率は。官民比率は。などなど。これには3か月ほど時間がかかった。
次に家電販売関係の分析。量販店がこれだけある中どうして中小企業が家電販売をしているのかという根本から分析した。これには2か月程度費やした。そしてあっという間に10ヵ月程度が過ぎたころ、営業の役員から連絡が入り、ちょっと話があるとのこと。
『お前は来月から営業に入れ』とのこと。うれしい反面、理由を知りたかったので素直に聞くと。
『私は新たに電気工事会社の社長となるので、営業を勉強してほしい』とのことだった。当時の営業本部長が退社するという事実をこのような形で突き付けられた。ただ、期間があったので引き継ぎではないが営業のことを平営業マンとして学んだ。今の営業部長からもここで様々なことを学んだ。
7年間かけて役員になるところ、1年半で営業取締役次長になってしまった。これは私の出来がいいわけでもなく、簡単に言えば同族の骨肉の争いが面倒なことになっていてその関係で営業本部長は新たな会社へ。平の役員は退職して別の会社へ。残されたのは私と工事部の役員と総務関係の役員。別の部署の役員は横領が発覚して懲戒解雇。
まったくもってとんでもない時期に入社してしまった。ただ、逆を返せばこれ以上どん底には到底落ちれない底辺スタートだったのですべてがプラスに転じる。
ショックだった親父からの一言は今でも忘れれられない。唯一、親父が見せた弱い一瞬。脳溢血で倒れて、2週間の入院から退院したのちの役員会議の後に呼ばれたときのことだった。
『お前、こんな会社になってしまったが、会社をたたむ選択しもあるがどう思う?』
初めて聞いた親父の弱音。ここで逃げてサラリーマンになっていれば、水澤電機は今、存在しないと思う。私と親父は楽になっていただろう。
『ふざけんな。あれだけ東京で頑張っている中、長岡に親父と仕事するために戻ってきたんだ。何をいまさら弱音吐いてんだ。これだけダメな会社になったんだから、親子で頑張って上を狙うしかないじゃないか。寂しいこと言ってんなよ!!』と。返答した。
『いい気になるな。お前を試しただけだ。男に二言は無いぞ。ここから茨の道。共に歩むぞ。お前の覚悟を試しただけだ。まだまだお前は青二才だな』とかえってきた。
本当に親父が弱音を吐いたのか、私を試したのか、死ぬ前に確認はしたかった。でもこれは、二人で親父が大好きなシアトルに旅行して、Best Wokという思い出の中華料理屋に行って聞こうと決めていたので今まで聞けなかった。亡くなってしまったので答えは分からないが、これも親父の策略なんだと思うようにしている。水澤電機の再スタートはドラマチックに始まった。

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