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羽虫と散歩(終わらない夏)



 ある者が恋をした話
 それは儚くて脆い
 哀れだがほろほろと
 涙を流す話

 ある者の生き様は
 侍のように孤独で
 とても現代人とは思えず
 恋には奥手らしい

 羽虫が私の周りを飛んでいる

 ある者はラブレターを書く
 何枚も何枚も
 失敗しては書き直していく
 拙筆だから仕方がない

 ある者ようやく完成した恋文を
 惚れた人のもとへ届くように
 切手を貼り付けて
 郵便ポストへ投函した

 羽虫がずっと視界に入ってくる

 ある者は相手からの返事を待った
 しかし相手からの返事は来ず
 ある者はいてもたってもいられないと
 彼女の家へと向かった

 タイミングが悪かった
 彼女は別の男性と寝ていた
 両者 裸 そしてある者を見て
 見せつけるように接吻した

 羽虫は私を気に入ったらしい

 ある者は裏切られたような気分になり
 咄嗟に相手の男を殴った
 殺してやると恨み妬み辛みを出し
 男を殺そうとした

 しかし殺されたのは ある者だった
 ある者は惚れた相手によって
 包丁で背中をぐさりと刺された
 ある者の人生はそこで終わった
 
 羽虫は私の文章をどう読んだか

 ある者の終焉はあまりにも悲惨で
 救いようがないものになった
 なんのメッセージ性もない
 ただただ虚しい物語

 されど私は人という生き物は
 フィクションほど豊かではなく
 むしろ淡白だと思っている
 何気なく なんとなく過ぎるものだと

 羽虫の生涯だって そんなものだよ

 私は描き終えた原稿用紙を置いたまま
 着替えて散歩へと出かけた
 どうも令和の時代は騒がしく
 今にも崩壊するディストピアみたいだ

 そんな世界の端を歩く私だが
 今日は随分と穏やかな気持ちだった
 今夜は一杯どこかで飲もうか
 なあ羽虫 私は振り返る

 そこに 羽虫の姿はない

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