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弾丸、鎌倉旅行記


 そうだ、鎌倉へ行こう。

 およそ10年前に遠足で行って以来、私は鎌倉と縁がなかった。何度か行きたいとは思ったが、手軽に行ける場所でもないから、「いずれ行ければいいかな」くらいに思っていた。

 しかし、「いずれ」なんて言っていると、行く機会を逃してしまうかもしれない。行けるときに行っておけ。突然、そんな気持ちになったのは今年の五月の下旬だった。最近地震も多いし、後回しは良くない。そんな思いで、私は弾丸で鎌倉へと足を運んだ。

・大仏さまと出会う

 弾丸、ということもあり、私はとりあえず大仏さまがいる場所へ向かった。凛とした顔立ちをされた大仏さまのイラストがお出迎えしてくれて、「ああ、鎌倉にやってきたな」と実感した。

 大仏は、英語でも「DAIBUTSU」らしい。

 まずは地図を確認する。そもそも、この場所が『高徳院』という名前とも知らなかった。高徳院は法然上人を開祖とする浄土宗の仏教寺院で、誰もが「南無阿弥陀仏」を唱えれば、御加護に与ることができる。そしてご臨終の際に極楽浄土に向かい入れていただける。そんな教えのもとに存在する寺院らしい。

 緑豊かな木々に囲まれた仁王院をくぐり、いざ鎌倉大仏へ。

 来た、大仏さまだ! 私は一人、気持ちが高揚した。建物などが津波で崩壊したため、今は「露坐の大仏」として有名になっている鎌倉の大仏。この日は晴天に恵まれ、まるで日向ぼっこをするように腰を据えていた。

 近くで見ると、想像以上に大きく、迫力があった。調べると大仏さまはおよそ11メートルあるのだとか。造立開始は1252年と遥か昔。およそ750年のあいだ、大仏さまはこの場所で人々を見守り続けている。

 ちなみに大仏さまの手のポーズは「定印」と呼ばれるもので、深い瞑想に入っている姿を表しているという。だから澄ました顔をされているのかもしれない。

 別の角度から。大仏さま特有の優しく、穏やかな表情であり、心が洗われた。私は手を合わせ、家族の安泰と自分自身の叶えたい夢をお願いした。普段は滅多にお願い事をしないが、今回ばかりは頼みたくなってしまった。

 朝早くに来たこともあり、周りはとても静かだった。五月晴れのもと、私はしばらくの間大仏さまのいる空間に留まることで、現実社会から切り離された気分になった。

 鎌倉の大仏に関する情報を発見。零細な民間の金銭を集積して作ったらしく、国家や王はお金を出していないらしい。また、最初は木造だったそうだ。金持ちの道楽ではなく、大仏さまは多くの人から必要とされて作られたのだろう。

 意外と見ることができない、大仏の後ろ姿。少し猫背である。内部は空洞になっており、実際に入ることができる。ということで、せっかくなので私も入ってみることにした。

・大仏さまの胎内へ

 中の空間は神秘的で、まるで洞窟に入った気分になった。しかし不気味さはなく、むしろ胎内にいるという安心感に包まれた。大仏さまの表面はひんやりとしていて気持ちよく、いつまでも触っていたい気分だった。


 ちょうど頭の部分に当たる。あのぶつぶつ、なんだっけ? と思い調べると、その名前は『螺髪』だった。螺髪は人間の存在を超えたことを示すという。なるほど、やはり大仏さまは我々人間を超越している。

 私はもう一度大仏さまの胎内を触り、なんとなく深呼吸してから胎内を出た。

 また来て、手を合わせたい。もっと近所にあればなあ、と思いつつ、大仏さまとお別れした。さらば大仏さま。また会いましょう。

 帰り道、謎の柴犬と遭遇した。可愛らしいその犬は両手を上げ、まるで「バイバイ」と手を振っているように見えた。迷い犬か、ここに住み着いているのか。とりあえず私は写真を撮り、心の中で「またね」と呟いた。

・鶴岡八幡宮へ

 場所を移動して、もう一つの目的地である鶴岡八幡宮へやってきた。鎌倉の大仏は行ったことがあったが、こちらはお初。そんなわけで、ワクワクしながら門をくぐった。

 鶴岡八幡宮は1063年頃から造立しているらしい。鎌倉の大仏よりも歴史がある。1180年に現在地へ移動、1191年に大火で燃えるが再建。その後も多くの武家が修造し、尊崇した場所だという。鶴岡八幡宮は鎌倉幕府の精神的支柱としての役割を持っていたそうだ。

 本宮へと向かうための道を歩む。高台に造られている様子は、小学生の頃に行った日光東照宮を想起させる。ただ、日光よりも開放感があるように感じられた。

 酒だ。あれは絶対に酒だ。

 近づいてみると、日本各地の銘酒がずらり。今でも奉献され続けるのは、間違いなく鶴岡八幡宮が由緒ある場所だからだろう。

・舞殿

 ここは本宮前にある『舞殿』と呼ばれる建物で、この日はちょうど結婚式が行われていた。お日柄もよく、親族と思われる人々が周りを囲って、新郎新婦の様子を見守っていた。結婚式場で式を上げるのもいいが、歴史ある場所で夫婦としての一歩を踏み出すのも、趣があっていいなと思った。

 それでは、石段を登っていざ本宮へ。

・本宮

 鶴岡八幡宮は「八幡神」を祀っており、源氏の氏神とされ、「武運の神」として信仰されていたそうだ。鶴岡八幡宮では、「応神天皇」、「神功皇后」、「比売神」の三柱の神様を御祭神としてお祀りしている。また、国の重要文化財である。

 ここから先は撮影禁止だったため写真を撮っていないが、誰にも侵すことができない神聖な雰囲気であった。ここでも私は手を合わせ、家族の健康を祈った。健康第一。それに尽きる。

 また、本宮の西側にあった『宝仏殿』に立ち寄り、史料や御神宝を拝観した。当時使われていた武具や絵巻などが保存されており、鶴岡八幡宮を通じて積み上げられた歴史を感じることができた。

・源氏池、鯉の群れ

 源氏池と呼ばれる場所は、蓮の葉で占められていた。もう少しで蓮の花が咲くらしいが、このときは見ることができなかった。

 代わりに、口をパクパクさせている鯉たちを見ることはできた。どうやら餌が売られているらしく、池に顔を覗かせると「餌をくれる!」と思われるらしい。 しかし大群で寄られると不気味だ。

・吉兆?

 旗揚げ弁財天社の付近で、珍しい生き物を発見した。鳩の群れの中に、一匹だけ真っ白な鳩がいた。一匹だけ、良い意味で浮いている。

 スピリチュアル的な話だが、白い鳩を見ると吉兆のサインらしく、縁起の良いものらしい。たしかにラッキーな感じはする。無論、鳩はそんなこと気にもしないだろうけど。

・小町通りを散策

 お腹が空き、小町通りを散策することにした。唐揚げやレモネードハイボールなるものに誘惑されたが、せっかくなら鎌倉っぽいものを食べようと思い、こちらに決めた。

・揚げたての練り物は美味い!

 鎌倉では練り物が有名らしく、いくつかの店が串刺しの練り物を販売していた。どれも魅力的だったが、私はこの中で「海老あさり天」を注文した。

 サイズは成人男性の掌ほどあり、思わず「デカイ」と呟いてしまった。かじってみるとすぐにエビやあさりと出会い、熱々の練り物と混ざり合って美味しかった。歯応えがありボリュームもあるが、あっという間に食べ終えることができた。

 すぐ横で、ユニークな自動販売機っぽいものを発見。タバコに扮した茶葉らしい。遊び心満載だ。

・地酒は絶対買うべし

 私は日本酒が好きで、旅行へ行くとその土地の銘酒を買ってしまうのだが、鎌倉でも見つけることができた。相模屋酒店さんという酒場に立ち寄り、ここ限定だという「鎌倉小町」を購入。学生時代では考えられないお土産だが、これもまた旅行の醍醐味だろうか。

 私は、ビールは苦手で飲まないが、きっとビール好きだったが「湘南ビール」に手を出していただろう。そんな湘南ビールのレトロチックなオブジェを見つけたので、思わず写真を撮ってしまった。

 そしてもちろん、鳩サブレは買った。

・鎌倉美水さんでランチ

 昼飯はどうしようかと考えながらフラフラ歩いていたとき、お洒落なレンガのお店を見つけた。メニュー看板を見ると、安価で美味しそうだったので入ってみた。

 様々な定食があったが、私は天丼とうどんのセットを注文した。天丼はエビ、サツマイモ、竹輪、えのき、春菊の五種類。うどんの他に、サラダと漬物も付いてきた、これで約1000円。鎌倉は比較的物価が高いなあと思っていたが、ここはかなりお手頃価格だった。

 天ぷらはサクサク食感で食べやすく、うどんはかつおの風味が良く出ていて美味しかった。割とボリュームのある定食だったが、あっさりとしていたのでペロリと平らげてしまった。これで1000円なら、最高。

・ゆとりのある街

 散策していて思ったのは、この街には「ゆとり」があることだった。優雅というか、落ち着きがある。カフェ一つとっても、パワーストーンの店一つとっても、心が安らぐ場所が多かった。街を歩く観光客も笑顔溢れている様子で、世界中がこの街のように平和だったらなあ、と逆に憂いてしまうほどだった。

 お金に余裕があったら乗ってみたい、人力車。

 古き良きお店も多く、変にモダン化していないあたりが鎌倉の良いところかもしれない。再開発も大事だが、昔のものを残すことも大事だと私は思う。

 そんなわけで、私の弾丸鎌倉旅は無事終了。もう少し下調べをしたり、計画を練って歩いても良かったが、ブラブラ歩いて何かを見つける方が楽しい。たまには自分が知らない街を歩き、リフレッシュすることも必要だと感じた旅だった。

 

 夕空とともに、鎌倉小町で乾杯。

 それでは、また。


【参照】

・鎌倉大仏高徳院HP

・鶴岡八幡宮HP

https://www.hachimangu.or.jp




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