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逃れがたいA

UPしていない日々の記録(「無住所生活の記録」という名前で毎日スプレッドシートをつけている)がPCの中で溜まりに溜まっているので元気なときに更新していきます。

私はたぶんずれてて、愛されるためにはもっと光らないともっと実績を積まないととやたら勢いよく走ってみたりするけど、ご立派だからといって愛されるわけではなく自分本体との乖離が進行しより惨めになるのだった。

汚くてもみっともなくても愛されている人を見たときの私の嫉妬といったらない。フケが溜まりまくった白髪混じりの剛毛黒髪ロング脂ギトギト眼鏡で小太りの女性が彼氏に愛されて大変で大変でという話をしたとき私の目に宿ったのは殺意だったし、美しくないカップルが互いしか見えないという顔つき、愛するものを見つめる顔つきで手を取りあっていたときも私はすごい顔して彼らを見ていた。目が離せなかった。
私には信じられないのだ。醜いものが愛されて、どれだけ精一杯正解をかき集めたとしても自分の手元には無償の愛とやらがおとずれないことが。

高知みらい科学館オーデピア内のプラネタリウム。約十年ぶりに入った

社会にはたくさんの救済システムがあるけど、私はそこにアクセスできない。存在が分かっても手続きができない。最低限ができない。私は取りこぼされ、取り落とし続ける。
キラキラを演じれば演じただけ自分を嫌いになっていく。大洲の老人たちの社交場で都会的ででも身近で受容的でほがらかで笑顔がいい若者Aを演じた。その場に応じたちょうどいいキラキラを演じ続けて生命エネルギーのタンクを目減りさせる。

小学校の学芸会で主役がやりたかったのに選ばれなくて結局6年間みんなが一番望む「兵隊A」「海賊A」「泥棒A」を演じ続けた。私はいまもそれをやってる。理想的なAから逃れることができない。なんのために。Aをやらないと自分が存在してはいけないように思える。ピエロだ。

高知のひろめ市場横の高知大神宮。体格のよい鶏がいて手本のような「コケコッコー」を聞かせてくれる

人びとが積み上げた鉄の足場や揃いのサイズのタイルがこわい。大きな絵を描いてそれを実現するために同じ形した小さな素材を積み上げる人がこわい。渡鳥の生態が知りたいからと脚にセンサーを括り付ける研究者がこわい。「知りたい」と純粋な目をしてほかの生物の生きづらさを難なく生み出せる人の好奇心がこわい。

また泣いている。おもしろいなあ。自分がおもしろすぎてこんなにおもしろい生物、容れ物を私に割り当てないで欲しかったと思う。生命を継続するだけでもおそろしくエネルギーがかかる燃費の悪い車みたいな容れ物を私に割り当てないでほしかった。

2022/7/30(高知)

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