愚痴はその道のプロへ。

こんにちは。久しぶりの更新になってしまいました。ますいけです。仕事へは行っておりますが、その他のお楽しみやお出かけがぐっと減ってしまっている緊急事態宣言下を過ごしています。

今回はだれしももやもやと抱えがちな愚痴のお話をしようと思います。

仕事がしんどい

昨年、一度緊急事態宣言が解かれてから私はそれ以前と同じように仕事をしています。諸々あって人員が減った中働いています。ある時仕事に対する弱音を吐いてしまったら「このコロナ禍で、仕事があるだけまし。」という答えが返ってきました。あ…そうだよね。仕事あるだけましだよね。とその場はそれ以上何も言えなくなってしまったのです。

それからしばらく仕事が辛いシーズンが続いていて、現在進行形で辛いです。出勤したら退勤まで気が抜けない時間が続きますし、一つ終えたら次。それを終えたらまた次。とわーっと仕事が来ます。そんなのが続いてしまっていて秋の繁忙期、年末年始、そして年度末にさしかかろうとしている今、結構私は参ってしまいました。

学生時代の友人とはまた違った位置づけになる社会人になってからの同僚だった友達と言うのは、一緒に働いていた過去と時間があるから仕事への姿勢や心構えとかが分かります。実際新卒で入った会社で「私はここは腰かけ。結婚相手を探しに来たの」という姿勢の方もいらっしゃいました。そういう人とは話が合わなかった私は、新卒時代もそれ以降もガツガツ仕事に取り組むタイプの人と仲良くなっていきました。

人生のステージが変わって

短い所は一週間で退職し、たくさん転職を繰り返した分、たくさん出会った元同僚の当時の友たちも結婚をし、子供を持つ人も増えました。私は一人でのほほんとしているわけですが、それでも様々な職場で一緒に働いていたときの阿吽の呼吸と言いますかそんな感覚が忘れられないでいたのです。仕事の愚痴をこぼしてもあの頃の様に分かり合えるのではないかと思ったのですが事態はそう上手くは行きませんでした。

「子供がいると子供が体調崩したり、怪我したりで急に仕事を休まなくちゃならない。その日の朝にならないと今日仕事行けるかどうかわからない。ちゃんと仕事行けるのはいいよね。」
と元同僚の一人に言われてしまったのです。確かにお子さんが熱を出してしまったり、このコロナ禍で咳をしているだけでも周囲はナーバスになります。そんな中、子供を育てつつ仕事もいくのは本当に大変なのは分かります。仕事だけではなく、子育て、家庭にも忙しい元同僚たちと私とでは忙しいのレベルが違うのだな。と思うようになりました。
私の辛さ、しんどさ、忙しさはおそらく元同僚たちからしたら「何がそんなにつらいの?」なんでしょう。そう思うと自分が低い位置で「辛い!しんどい!」と言ってるかのようで、もう元同僚たちには仕事の愚痴はこぼせなくなってしまったのです。

仕事関係ない友とは?

現在、紙とパソコンと闘う仕事をしている私ですが、過去に仕事の関係ではない方に「どういう仕事をしているの?」と聞かれたのでかいつまんで話したところ「なにそれ!超簡単。そんなの私、一日中やってられる!」と言われたのです。私はその仕事を一日中やってゲッソリしているわけなのですが。

確かに、現在の仕事は社内のシステムが分かりパソコンの基本操作ができて、コツさえつかめば頭を悩ますような仕事ではなく黙々と作業のできる仕事です。特殊技術が必要なわけではなく、どちらかというと注意力と集中力を必要とする作業ではあります。ですので、かいつまんで説明してしまうと本当に簡単なことしかしてないように聞こえたのでしょう。だから、「超簡単!」と言われたのでしょう。そう言いたい気持ちも分かりますが、それで賃金発生させるレベルの仕事の量と質を一日7時間ちょっと、週4~5日保つとなると中々しんどいものがあるのです。少なくとも私には。

この言葉を聞いて以来、人には積極的に仕事について説明するのを控えるようになりました。仕事の内容を話しても、辛さが分かってもらえない。と思ったからです。また「超簡単!」と軽く見られるのが嫌だったからです。

愚痴をこぼしたくなったら~就労支援~

以前の記事でも書きましたが、私は「就労支援」を使っていました。障害を持つ人たちに向けた、就労いわゆる、お仕事に関して支援をしてくれる機関を使っていたのです。就労支援を使っていた時、仕事の愚痴は就労支援の方に話しました。仕事でこんなことが辛い、人間関係が辛い、上手く行かない。等を聞いてもらい、時にはアドバイスをもらってました。この就労支援の方は所謂プロです。それを生業としています。時には職場訪問をしてくれたり、会社にメールでご挨拶してくれたり、上司と面談してくれたりもしていたので、私のしている仕事の内容も分かりますし、「辛い」と言っているのがどこの部分なのかも分かってくれます。
ですが、時期的なこともあって就労支援を終了してしまったのです。

それ以降の愚痴は

就労支援を終えた私が仕事の事を話せるのは主に精神科の主治医となりました。主治医と言っても仕事内容とかを事細かに把握しているわけではありませんので、就労支援の方に相談する時とはちょっと方法も違いますし、くれる意見の方向性も違います。
今日も通院で「仕事…辛いです。」とぼそぼそと言ってきたのですがこの一言から「仕事の辛さは、他の人に分からないという事があります。それは精神疾患の辛さにもつながることです。」という意見をもらってきました。確かに私は元同僚たちやその他の人たちに「仕事の辛さを分かってもらえない」と言う点で苦しんでいました。精神疾患も外から見たらわからなく、何に苦しんでいるか分からない点では同じです。

また、精神疾患をもって日々を生活しているのは、それを持たない人と比べると肉体的にも精神的にも辛いものであるとも言われてきました。だから、自分を卑下せず「よくやってる!」と思っていい。と。
就労支援の方とは違った視点から主治医はアドバイスをくれるのです。

心の奥にあるどろっとした澱のような愚痴はその道のプロに話した方が解決する。と思うのです。ちょっとした軽い愚痴位でしたら、友達や家族に話してスッキリしたりするのもありだと思うのですが、どろっとした奴はプロにお願いしないとだめだ。と私は思うのです。

いずれにせよ、愚痴は軽いものもどろっとしたものも貯め続けてしまうと心身ともに影響がでるので、適宜発散していくのが大事かと。その発散する相手はちゃんと選ばないと発散されずにより一層の辛さを抱えることになる場合もあります。

餅は餅屋という言葉を実感しております。


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