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3-1「書いて・売る」は可能か?

売れる電子書籍をつくるコツ 第3号より

製造と販売を一人でやる

 セルフパブリッシングのことを少し考えてみましょう。
 シンガーソングライターは、珍しい存在ではありません。音楽は一人でも完成させることができ、演奏でき、流通も可能です。書籍も同様に、書いて、編集して、流通させることはできます。
 一方、メーカー直販はどうでしょう。製造業で、つくって、流通させることはなかなか難しいこととされています。ユニクロのように、企画、製造、流通を一貫させている例もあるのですが、ユニクロは製造部分を内製化しているわけではないので、協力工場方式なら不可能ではないことがわかります。分業化によって近代の製造業は発達できたので、つくる人、売る人を分けた方が合理的なのは事実でしょう。
 価値観、考え方の違いがあるからです。つくる側の価値観と、売る側の価値観はいつも一致するわけではないので、最適な方法を探っていくと、一緒にやるのは合理的ではないわけです。
 ネット社会になり、最終的な消費者の声を手軽に、ダイレクトに受けることができるようになりました。ですが、消費者の希望に応えて製造したものが売れるわけではないことを、製造する側も、売る側もよく知っています。消費者のニーズは過去のものだからです。製造する側は、その先を見ています。研究開発が十歩先を考えているのなら、製造側は三歩先を考え、流通側は半歩か一歩先を考える世界でしょう。消費者は、現実に手に入る物の中から選択し、不満を感じてフィードバックするのですが、それもあくまでも手にすることのできた物からの発想です。
 本について考えてみましょう。みなさんが構想を練りはじめるのは、読者が手に取るかなり前ということになります。
 私がこの「売れる電子書籍」を構想したのは、二〇一三年三月です。第1号の主要部分を執筆したのは三月でした。その後手直しをし、EPUBにする手順を試しているときに悪戦苦闘した結果、KDPで販売できたのは五月中旬でした。これだけの時間をかけた理由はいくつかありますが、「土日しか使わない」と決めていたこと、いくつかのEPUBにする仕組み(プラットフォーム)を試したかったことが大きく、そのうちの一つで完成させようと当初思っていたことがいけなかったと思っています。たまたまそのプラットフォームは開発中で、まったくうまくいかないままに一か月ほどロスしました。いまではそのプラットフォームはよくなっていますが、当時は私には難しすぎました。身の丈にあった方法を早くみつけないといけないよね、ということを学びましたが……。
 おかげで、一太郎で完成させて、KDPにアップするシンプルな方法に辿り着いたわけですけど、もちろん、今後はこれでも限界があるかもしれません。そうなったときには他の方法を探すかもしれません。
 そんなわけで、考えて、書いて、世に出るまでに、どうしても時間が必要です。この間になにができるかは、人によって違うでしょうが、私の経験からすれば大したことはできません。「いずれ出ますよ」という告知をやりたいところですが、それもなかなか難しい。少なくとも、最終校正ぐらいにならないと告知には早すぎる気がします。
 つまり、製造工程には、読者は存在せず(誰も知らないのですから!)、プロモーションも限定的ですし、書き上げる以外にエネルギーを使うことは困難な状態になります。
 書き上げて、編集タイムを経て、世に出たら、そこではじめて売るための作業ができます。プロモーションもそこからスタートです。もう少し前倒しにもできるでしょうが、よほど計画的に推進できる人でなければ困難なことになりそうです。
 次に、出来上がった作品についてです。製造者なので、読者からフィードバックがあれば、すぐ対応できそうなものです。でも、一度出来てしまった作品は、「それはそれでいいのではないか。次の作品にフィードバックを反映させよう」と考えがち。前作を書き直すよりも、次作をつくる方が建設的だからです。間違いなどの修正、表現の修正などはするかもしれませんが、「書き直し」は多くの著者にとって、受け入れられないと思います。
 もしそうした作業(書き直す、次作をつくる)に入ってしまったら、売る時間はそれだけ減ります。
「アマゾンに並べておけば売れるだろう」と思っても、それは難しいと言わざるを得ません。探してもらわなければ、売れないのです。必要な人にみなさんの本についての情報を届けないといけません。そのためには、相応の仕組みをつくる必要があるでしょう。
 書いたままでは、売れない。どうやって売るか、考えて作業する時間が必要になりますし、そうなると次作の製作時間であるとか本業の時間との関係も出てきます。
 私の経験からも、セルフパブリッシングの本がなかなか売れないのは、売るための時間をつくれない著者が多いからだと思っています。
 現状では、誰か代わりにそれをやってくれる人は見つからないでしょう。その人に提供できる費用も限られています。もっとも、このテーマは多くの人が気づいていることなので、今後はこうしたプロモーションを請け負うプロが登場してくる可能性は高いと思っています。
 別の側面から、「書く」と「売る」を同時に一人の人がやることの難しさを考えてみましょう。

客観性の欠如「うちのが最高に決まってる」

 日本には長らく「ものづくり」の神話があり、そのためか、ものをつくっているところが一番、という考えが根強く残っています。もちろん、私もつくる側なので、プライドはあっていいと思うものの、つくっただけではダメだということも身に染みています。
 21世紀になってからはさらに、つくるだけではダメな世界になってきました。つくることはすばらしい技術であり才能であり努力の賜物であることは否定しません。崇高な行為と言ってもいいでしょう。ただし、それは世の中の全体としての話。つくる人に感謝するのは、消費する者には大切な気持ちですが、最近はどんどん薄れています。なぜなら、消費する側からすれば、「ネットでタダで」とか「コンビニさえあれば」とか「通販があるから」といったように、自分に直接必要なものを届けてくれるところが重要になっていて、そこで流通するモノについての思い入れはかつてほどはありません。
 世の中はグローバル。それを誰がどこでつくっているかは、もはや大した問題ではなくなりました。国産にこだわる人は多いものの、すべてが国産のものはほとんどありません。原材料の大半は輸入です。包装材料は石油製品、つまり原材料は輸入です。
 そしてものをつくるハードルも下がりました。セルフパブリッシングはその好例でしょう。ほとんど無料で、誰でも本をつくって売ることができるのです。
 いまの時代、「あなたがつくらなければ誰かがつくる」。これは、みなさんが書かない本についても言えます。書いた本は顕在化され、読者がその気になれば読むことができます。でも、書いていない本があります。頭の中にあるだけの本。ところが、それでさえも、みなさんが書かないなら、誰かが似たようなものを書きます。完全に同じではないですが、近接し、共感できる本はたくさん生まれてきます。みなさんが書かなくても誰も困らないのです。これはすごいことですよね。
 ついつい、つくり手は、それに投じたリソースを考えてしまいます。「私の半生が」とか、「毎週末をすべて」とか。ですが、読者にとって、それが価値を持つ場合もあれば、そうでもない場合もあるのです。
 つくり手は客観的になりきれません。出来上がったものへの執着、偏愛も生じます。過信する人もいます。「これだけ時間をかけて書いたのだから、いいものに決まっている」と思いたくなるし、思ってもいいのです。
 ところが、そのためか、読者に寄り添うような売り方が難しくなっていくこともしばしばです。「売れないのは世の中が悪い」と言う人はさすがにいないでしょうが、「どうやって売ればいいのかわからない」とおっしゃる方は多いでしょう。著者にとってすばらしい本でも、もし「売り方がわからない」のであれば、それは読者に届きにくい本だと自ら認めているわけです。だからといって、「いい本」だけに「売りやすい本」に変更していくのは抵抗があるでしょう。その結果、「売れなくてもいい」とか「わかるやつにだけわかればいい」となってしまう。
 これがセルフパブリッシングでは強くなりがちです。せっかく売れる要素があっても、売れなくなる可能性の方が大きくなってしまいます。

行き過ぎた自虐性「どうせ売れない」

 その反対で、「どうせ売れないんだ」と、最初から諦めている著者もいます。「売れなくたっていい、書き上げただけで満足だ」と。
「ものづくり」神話のもう一つの間違いですね。つくりあげたことに満足してしまう。「よくやった」と自分を誉めて満足感に浸る、というやつです。セラピー的な意味では、自分の思ったことを書き出すことは、一種の療法にもなるらしいので悪いことではありません。そこで満足してもかまいません。
 ただ、「売れる電子書籍をつくろうよ」という観点からすれば、そこで終わってしまうのはいかにも惜しいです。まして、「どうせ売れない」と決めつけて、売るための行動を取らないのも惜しいところでしょう。
 一人でも多くの読者に届ける努力をすることは、ものをつくった人の責任でもあると私は思います。ものをつくるためには、なにかしらリソースが必要です。本をつくるために必要なリソースはパソコンではありません。重要なことは、頭の中にある文章であり、それを創り上げるための知識と経験であり、その知識には先人たちの功績があり、経験には多くの人が関わっています。仕事を通じて得た経験を本にするのなら、その過程で出会った人たちが関わっているのです。そうしなければ、書くことなんてできません。
 私がいまこうして書いているのも、過去の経験、出会い、教えなどの上に成り立っています。ゼロから生み出しているようでいて、ゼロではなく、おそらく九九パーセントぐらいは既知のもので、その組み合わせが自分ならではのところがあって、さらに一パーセントぐらいユニークなことを加えることができればいいなと思っています。ですが、自分がどれだけ新しいものを加えられるかはわかりません。せめて、組み合わせ部分だけでも自分でなければできないようなものにしたいのですが、それだって、銀座の四丁目でまったく同じ服装の男と出会ってしまう可能性がゼロではないように、なかなか難しいことです。
 いずれにせよ、多くの知恵の集大成としての本が、いま誰かの手を通して生まれてくるわけですから、つくったからにはできるだけ多くの人に届くよう、努力してもいいのではないか。そうしなければリソースの無駄遣いになります。
 ちょっと話が大げさになってきましたが、安心してください。自分一人で本を書いているわけではないのであり、それは私だけの問題でもなく、みなさんだけの問題でもないのです。世界中がそうなっている。
 みんなでさまざまなリソースを使い、新しい組み合わせを探しているのです。
 そう思えば、「どうせ売れない」はあまりにも自虐的でしょう。そして、できる範囲でかまわないので、少しでも読者に届くような努力はしてみてもいいのではないでしょうか。

顧客との関係性「つくるだけで忙しい」

 少しでも売れると、レビューがつくこともあります。直接、著者にメールを送る読者もいます。
 顧客主義は、現在の経済活動の根本ですから、本を売る点でも、顧客主義は重要です。間違いを指摘してくれたり、著者が思いもよらなかった部分への反応があったりするので、有益であり刺激的です。その出会いも、大きな経験になりますし、財産になっていきます。
 ただ、先に触れたように、こうしたフィードバックを製造過程に直接反映させることは、かなり難しい作業です。「読者のために書くというのはわかるが、おもねるような書き方になってしまわないか」とか「あれこれうるさい読者の言うことなんて聞いていられない」と思う人もいるかもしれません。「いちいち、読者を気にしていたら次作が書けない!」とパニックになる人もいるかもしれません。
 ここにも製造から販売まで一貫してやっていくセルフパブリッシングの悩みがあります。
 読者が一人でも生まれたとき、みなさんの書く姿勢は大きく変わらざるを得ません。読者がいないままに書いていた、最初の作品のときのようには書けなくなります。
 小説でもそうですが、「処女作」を興味深く読む読者が多いのは、それがほとんど読者のいないときに書かれた作品だからです。著者はそのあと、変貌していきます。読者が気に入ったところ、評論家などが注目したところに、深く切り込んでいく傾向が強くなります。外野の声がないときには、内なる声のみに耳を傾けていたわけで、もっと多様な面が含まれていたはずですが、そこはしだいにそぎ落とされていきます。希に、そぎ落とした部分を捨てることなく、別に育てていく作家もいます。
 そして、常に「次」があるわけですから、読者の何歩も先を考えているはずです。そこに、過去の作品からの読者の声が入ってくることは、必ずしもいいことばかりではないでしょう。読者が求めているのは、自分の気に入った作品の焼き直しではないのです。ですが、読者のフィードバックに忠実に従うと、焼き直しになっていきます。
 優れた作家は、「いい意味での裏切り」を仕掛けていきます。「まさか、こうなるとは思わなかった」という仕掛けをして、なおかつ「でも、これはすばらしい」となるかどうか。そういう創造性を競っているわけです。
 そこまで創造性を求めない本でも、製造時は外野の声に惑わされずに書きたいと思うはずです。
 一方、売るためには、顧客主義ですから、顧客と親密な関係をつくっていかなければなりません。この両立のためには、製造と販売を分離した方がいいのです。そもそも、ものづくりにはまり込むと「つくるだけで忙しいから、顧客の相手なんてできない」と思ってしまう人だっています。それはとても正直な反応です。
 ではセルフパブリッシングでは、製造と販売の両立は不可能でしょうか。
 読者との関係性をつくりつつ、しっかり読者を裏切る企画を練るなんて、「ジキルとハイド」のように思えるかもしれませんが、実はそうではありません。

読者を裏切らないけど、裏切る

 期待どおりの本は、読者を裏切らない点で合格です。以前にも読者を裏切る本はダメだと申し上げました。ミステリーとうたって、謎がない。または謎がちゃんと解決しない。実用書というのに、実用性がない、やれない、わからない。新幹線の写真がカバーにあるのに、中には一度も新幹線が言及されない、といったことは、やってはいけない裏切り行為です。本書も「コツ」とタイトルにあるのにコツらしきものが見当たらない。けしからん裏切りですね。真似してはいけません。
 その一方、「期待どおり」は合格ですが、「思ったとおり」はどうでしょう。これはなんだか読者に負けている感じがしませんか。
 読者は著者に裏切られることを期待しているのです。とくにその著者の本を一度読んでいる人ほど、いい意味での裏切りを期待します。私も読者側のときは欲張りになります。それに応えてくれる著者をさらに好きになります。
 たとえば、サーフィンで知り合った人と、歌舞伎座で再会するようなものです。しかも和装。「そういう一面もあったのか」と知ることは、さらにその相手に興味を持つことになるでしょう。
「思った通りだった」というセリフは、がっかりしているように聞こえます。悪くはないが、さらにその本や著者との関係を深めようとは思わないのです。本を含めて作品と呼べるものは、実用書や技術書であっても、どこかしらに読者の予想を越えた部分があった方がいいわけです。「思った通り」というのでは、まったく誉めていません。これをわかりやすく言えば、「読む前にわかっていた通りだった」ということで、読んでも読まなくても同じだったことになってしまいます。
 もしその本がいい本なら、なにかしら読者に作用しているはずです。
 本や音楽は、人に作用することで活きる製品です。テレビはテレビそれ自体は私たちに大した作用はしません。壊れたり操作方法がわからないときに腹が立つ、という影響を与えますが、それ以外では基本的にテレビで見るコンテンツによって、はじめて人は影響を受けます。掃除機も同様です。「掃除をした」という行為は人に大きな影響を与えますが、掃除機そのものを飾っておいてもそれほどの影響はありません。
 本も同じで、購入して置いておくだけでは、大した価値はなく、読まれてはじめて価値が生まれてきます。だから、読んでもらうことが大事です。読まれることで、人に作用します。「おもしろい」とか「つまらない」とか「すごい」とか「大したことない」とか、「よくわかる」とか「ぜんぜんわからない」といった反応が即時に起こります。人は読みながら、反応をしつつ読み進めます。
 それなのに、読後に「思った通りだった」は少し反応として弱いでしょう。そうならないために、つくり手はちょっとした裏切りを用意します。意外性、または深みなど、つくり手しだいですが、そうしたものがどうしても必要になっていきます。一応、お断りしておきますが、この本はみなさんが思った通りの本です。サプライズはありません。ご了承ください。

サポート打ち切きりはできない

 読者が誕生したとたん、裏切る対象ができたわけですから、書き手はその人たちを想定しながら、こうした仕掛けを考えないといけません。そのために、力を入れるところがはっきりしてきます。
 こうした作業をすることと、自分の過去の作品を読んで反応してくれている読者の対応をすることは、とてもおもしろいことなのです。製造から販売までやれば、こうしたことをすべて味わうことができるでしょう。
 セルフパブリッシングでこれをやるとき、自分の中で、製造と販売では読者に対する考え方が少し違うんだ、ということをよく理解しておかないといけません。
「ウィンドウズのXPがよかったなあ。ウィンドウズ8をXP風にしちゃおうかな」なんて人が世の中にはけっこういるわけですが、これと同じような気持ちが読者にも生じると思ってください。
 だけど、かなり先を走っているつくる側からすれば、「みなさんも追いついてきてくださいよ」と思いつつ、少しは譲歩して「スタートボタンぐらいはつけましょうか」となってもいい。
 OSと本は違います。「まだXPを使ってるの?」なんて、言ってはいけません。もちろん、「末永く使ってください」とも言いません。
 本の場合、初期の頃に書いた本をいま読んでいる人も読者ですし、最新の本を読んでいる人も読者なので、どっちもサポートしてあげなければなりません。
 だからちょっとばかり面倒ですよね。
 雑誌連載時と単行本では、加筆修正をしてかなり違うのが一般的。この単行本が文庫化するときにさらに全面的に手を入れていく作家もいます。それが成功か失敗かはともかく、最初に書いたときはいいと思ったのに、数年後に文庫になるとき作者として修正したくなることがあるわけです。こういうことをしてもいいのですが、それがサポートになっているかどうかは意見が分かれるところでしょう。改訂版を別に出す方がいいかもしれません。
 古い映画で私の好きな『ブレードランナー』はその典型です。バージョンが五つもあることで知られています。最初の試写版(ワークプリント)はまあしょうがないとして、オリジナルの劇場版(米国での初上映版)と、インターナショナル版でもう違いがあり(これもよくあることではあります)、さらに上映後にディレクターズ・カットとファイナル・カットという二種類の「最終版」があるのです。でもこれはファンサービスであると同時に、つくり手側のこだわりも大きいでしょう。
 ルーカスの『スター・ウォーズ』も、あとからCGを足して、最初に公開されたものとは違う映像になっています。
 今後、電子書籍や紙の本もこのようなことが頻繁に起こるでしょう。ファンの声が大きくなるから、売れたからというだけではなく、つくり手のこだわりによっても起こり得るのです。
 つくったものをサポートし続けることが、顧客第一にもつながるのですから、「どうせ売れないから」とか「読者なんて気にしてられない」といった意固地なスタンスではなく、長期にわたって自身の作品を振り返り、大事にしながらも時代や読者の声にも合わせた修正をしたり、そこから発想した最新作につなげていくような工夫を「遊び」としてやれるようになれば、すばらしいメーカーになれるのではないでしょうか。

死んだ餌には食いつかない

 作家になることを希望している人も大勢いらっしゃるでしょうが、作家の中でも、本づくりだけ、執筆だけに専念できる存在になりたいと願っている人も多いことでしょう。少なくとも執筆している自分が、いきなり読者からのクレームのメールに対応することのない状況を望んでいることでしょう。しかし、よっぽど売れないと、自分に代わって読者対応をしてくれる人を雇うことなんてできません。
 見学可能な工場が増えています。でも、作業をしている人の横で、見知らぬ人から、「もうちょっと手早くやれ」とか「もっときれいに仕上げろ」なんて言われるわけではありません。そんなところでは作れません。
 原稿も横から覗き込まれて書くのは難しい。読者からいろいろ言われながら書くのは大変です。うまく切り替えて、書く自分と、売る自分を両立できるように工夫できるかどうか。
 少なくとも、「自分で書いて自分で売るのはけっこう難しい」という前提に立って、考えた方がよさそうです。
 なんでこんな話をしているのか。
 それは、現実として、セルフパブリッシングの多くは、ピクリとも動かない死んだ餌になってしまうからです。
 魚が食いつくのを待っているうちに、餌は死に、動きもしない、ニオイもしない。そんなまずそうな餌に食いつく魚は滅多にいません。つまり売れない。
 餌(書き上げた本)をいつも「新鮮でおいしそう」に見せる努力をしなくてはなりません。時間もないし、新しい作品もつくらなければならないのに、さらに仕事が増えますね。
 そこをどう突破するかは、これからの大きな課題になっていくでしょう。さまざまなバージョンの新版、改訂版を出すのもいいでしょうし、新刊を出しながら以前の本をセールする方法を考えるのもいいでしょう。シリーズ化もいいでしょう。『宇宙英雄ローダン・シリーズ』ではありませんが、「いまも新作が書かれている」状態は、過去の作品にも光をあててくれますから。
「新しいの買ってね。だけど、古いのも買っていいんですよ。どっちも読んだ方がいいよね」と言い続けることです。

「ウリ」のないものは売れない

 ウリを見つけることは、顧客主義の営業活動に重要な役割を果たします。
 一番いいのは、みなさんの日常、生き方そのものがウリになることです。そうすれば、みなさんが書いた本は、いつでも新鮮です。今日、みなさんを発見した人は十年前の本でも新鮮だと感じるでしょう。
「それは十年前のものだぞ、こっちに昨日出たばかりのがあるんだ」と言ったとしても、「いいんです。最初から読みたいから」と古い方を喜んで購入する人がいるのです。「いやあ、十年前に知っていればもっとよかった、すばらしい本だ!」と思ってくれる読者もいます。そうやってファンになってくれれば、昨日出た本はもちろん、まだ一行も書いてない来年出る予定の本だって買ってくれる可能性があります。
 そこまで全面的にコミットできないとしても、自分の仕事や活動と本がきちんとリンクしていることは、重要なことです。
 思いつきで、たまたまその時に興味のあったことを書いてみたとしても、販売する頃にはもう別のテーマに興味が移っていて、そこに整合性がない場合は、売り続けることが困難になります。
「おまえ、昔、ロックやってたよね」と思ったら「いまは音楽はもう興味がなくて、陶芸をやってるんだ」となっていたら、かつてのロック時代の作品は捨てることになってしまいます。いまさらフォローもできないでしょうから、売り続けることができなくなるのです。
「でも、世の中にはマルチにいろんなことに首を突っ込んでる人がいるじゃないですか」という声も聞こえてきます。
 私よりも上の世代のみなさんはご存知でしょうが植草甚一というスゴイ人がいました。映画、ミステリー、ジャズなどなど。多彩な評論、エッセーで知られます。こうした人が、どのようにそれぞれの専門的なことを書くことになっていったのか。さらにどのぐらい人生と関係していたのかを調べていくと、アウトプットとしての著作物以上に濃厚な体験をしていることがわかります。ここまでやれば、生き方と作品は完全にコミットしますから、その人が生きていることそのものが、本のプロモーションになっていきます。ウリは著者自身ということになります。だからジャンルの違うことを題材にした本を出しても意味があるわけですし、売りやすいのです。
 このような例は簡単には真似できません。でも、一冊でも出そうというからには人生の一部を切り出すことでもあるわけですから、その部分ではみなさん自身がウリになる可能性は大いにあります。できるだけ、人生との関わりが濃いものから本にしていくのがいい方法でしょう。

ウリを自分自身にするには?

 自分自身と本をしっかりつなぐもの。それはディテールです。ディテールは枝葉末節。どうでもいいこと、書いても書かなくてもいいことです。
 本を書く行為は、ご存知のように、思った以上に大量の資料や知識を必要とするものです。
 よく、「自分の人生を書けばいい」と簡単におっしゃる人がいますけども、私たちはそれほど毎日、注意深く生きているわけではありません。たとえば天候。あなたは、あの日の天候を覚えていますか? 日記をつけているから大丈夫? ホントに?
 私の経験からすると、日記も大してあてにならない場合があります。誰でも経験があると思いますが、忙しいと数日記入を忘れて、週末にまとめて書いたりします。この段階で天候をしっかりつける人は、気象予報士とか天候によほどの強い興味のある人です。つまり、人生そのものが天候にコミットしている。だから、正確な記録が残ります。そうではないなら、自分で書いた「晴れ時々曇り」なんてメモさえも、信用できません。
 自分の書いた日記やメモを鵜呑みにしてはいけません。日記を書いた時間には「晴れ」だったとして、その日、朝起きたときはどうだったのか。気象庁などの記録と照らして確認しておく必要が出てくるかもしれません。
 簡単に書いてしまうのです。「あの日は、抜けるような青空だった」とか。実は予報は雨で、傘を持ち歩いていたかもしれません。ただ、降らなかっただけ。
 心にもないことは書いてはいけませんし、心にもない本はつくってはいけないのと同様、本を自分のものにして、そこにウリをつくっていくときは、細部にも注意を払ってみましょう。
 自分がしっかり関わったことを書いていく本なら、そこにウリがないわけがないのです。「Why me? 」が必ずあるからです。もし、それがないのなら、その本は売れません。ウリのない本は売れない。当然のことです(「ウリがないことがウリ」というレアケースは想定できますけども)。

SNSを活用するコツ

 ウリを見つけましたか? ウリがあるなら、それを宣伝していけば、「売れる電子書籍」になるはずです。
 そのときに、お金も時間もかけずにできるのがSNSですね。ソーシャル・ネットワーク・サービス。フェイスブック、ツイッター、LINEなどなど。ブログやメルマガも忘れてはいけません。ブログパーツとして自分のツイッターを表示させることができるので、ブログもソーシャル性が高くなりますし、ブログ記事をフェイスブックやツイッターなどと関連づけることは、一般的に行なわれていますよね。
 アマゾンのKindleストアで売ると、みなさんの本のページにはソーシャルのボタンがついています。「シェアする」とあって、メール、ツイッター、フェイスブック、ミクシィー、Pinterestに対応しています。自分の本をそのボタンをつかって宣伝する。それだけではなく、同じ読者が興味を持つであろう、その周辺の本などもオススメ情報として読者に知らせることができます。
「みなさん、お元気ですか。この本もすごくいいですよね!」といった言葉を添えたりするのです。URLだけというのは最悪で、誰もそんなリンク先に行く人はいません。ネットは恐いですから。みなさんの言葉がなければ、ただのスパムになっていきます。自著の宣伝だけを連呼すると嫌われます。
 ツイッターならほかの人のツイートをリツイートするなどして、拡げていくことができますし、フェイスブックならシェアしてもいいでしょう。
 SNSでプロモーションをするときのコツは、自分の本だけを推奨するのではなく、合わせて読んだらいい先人の本、みなさん自身も興味のある関連の新刊などの紹介もあわせてやっていくことです。ニュースとか話題も適時、入れていいでしょう。うるさくない程度に。
 また、誰かが反応をしてくれたときには、そのお返しをどうしてあげたらいいか、考えて対応してください。
 たとえば、自分の本の宣伝だけするツイッターなんて、誰も見ません。いまではロボットで同じ文面を定期的にツイートできるわけで、多くの人は読まなくなっていきます。いくらフォロワーがたくさんいても、ぜんぜん、届かなくなっていきます。
 フェイスブックでもそうです。誰もが興味を持っているブランドや大手企業のものでさえ、かえって印象を悪くすることがあるのがSNSなのです。
 それを乗り越えていくためには、フェイスブック、ツイッターをはじめ、みなさんの発信する情報が、みなさんのウリときちんと合っていて、なおかつ役立つものになることです。役立つためには、自分の情報だけの発信では足りないことは明らかですよね。
 誰かがあなたの本のことを話題にしていたら、そのツイートをリツイートしてあげる。フェイスブックでシェアしてあげる。相手のブログにコメントをつける。そんな地道な活動をしていくわけです。
 こうした作業も、「自分の本を売るためだけ」だとすれば、苦労ばかりですが、生き方なり仕事に関わっているものなら、一日のうち一定の時間(三十分とか一時間とか)を費やすことができるはずです。それも連続で必要なわけではなく、朝の通勤時に十分、昼休み十分、寝る前に十分といったように、分割して対応してもいいわけです。
 なにかの専門家として本を書くぐらいの人なら、いつも多くの情報をSNSから得ているはずで、それを読者にも伝えていくことで、さらにファンが増えていくはずです。
 ここで言うファンは、みなさんの本を買う読者という面だけではなく、アイデアを提供してくれたり、情報をもたらしてくれる人たちです。世の中には、いろいろな見方をする人がいて、こちらの凝り固まった見方を鮮やかにひっくり返してくれることもあります。そういう出会いが、次の作品づくりのモチベーションになることもあります。
 SNSの活用にはこのほかいくつかコツがあります。

SNSを活用するコツ
・ペンネームを使うなら、ペンネームのSNSを持つこと。
・複数分野で本を出す場合、掛け持ちは難しいので、SNSも分離すること。たとえばお医者さんが鉄道の本を出すとき、お医者さんとしてのSNSで宣伝しても広がりは限定的ですから、別アカウントで鉄道のSNSも持つのです。
・複数SNSを上手に使うには、目的別にブラウザを変える(クッキーなどの関係がありますから)といった工夫も必要でしょう。

 私の知っているある人は、三つの分野で電子書籍を出しているので、三つのGメール、三つのツイッター、三つのフェイスブックを持ち、それぞれエクスプローラ、グーグルクローム、ファイアフォックスのブラウザで管理しています。
「このやり方のいい点は、なにより自分が間違えないから。それに、自分の三つのアカウント同士でもお互いにリツイートしたりすることもできるので、さりげなく相互乗り入れもできるから」と言っています。短時間で効率よくSNSを使ってプロモーションするために、こんな工夫をしているわけですね。
 ブックマークなども三つの分野でかなり違うわけですから、ブラウザを立ち上げると、ペンネームの自分になれるという仕組みです。当然、同じニュースに対する反応も違ってくることになります。

ソーシャルの罠 そこに読者はいる?

 このようにプロモーションでSNSなどを使っていくのは常道と言えます。ただし、SNSの中に、読者となる対象者が一定数、参加していることが前提です。
 ここ、注意してくださいね。みなさんのSNSに参加している人たちは、みなさんの興味のある分野に興味のある人たちでしょうか?
 たとえば、未成年者を対象とした本を書いたとき、SNSで広めるためには、未成年者とつながらなければなりません。なおかつ、電子書籍の場合は決済方法が限られていますから、未成年者でも決済できる方法を提供しているストアから電子書籍を供給していなければ、話になりません。
「大人になって、クレジットカードを持てるようになったら買ってね」じゃ、遅いわけです。
 未成年者向けでも、親が購入してくれる可能性があるでしょうか。その場合はどうすればうまく伝わるでしょう? 対象は親になりますから、その人たちとSNSでつながる方法を考えなければなりません。
 高齢者はどうでしょう。パソコンもタブレットもスマホも使わない人たち向けの本はどうでしょう? そもそもその本は売れるでしょうか?
 いま申し上げたのは極端な例ですが、実際問題として、個人でSNSで繋がることのできる人数は数千規模ぐらいでしょう。タレントや誰もが名を知っている人なら何十万規模になれますが、そうではない人にとっては限界が最初からあるのです。
 そこを突破するためには、SNSだけではプロモーションできないおそれがあることを、理解しなければなりません。
「そこには読者はいないかもしれない! じゃあ、どうしよう」と考えてください。
 どうせ声を涸らして宣伝するなら、自分の読者がいる場所に行くこと。わかってくれる人に向けてプロモーションしなければ、結果が出ないのですから、それがどこかを探すことです。そして、そんなことは誰もやってくれないので、ご自身でやらなければなりません。
 もっとも、「蛇の道は蛇」なんて言うように、その道の専門家なら、そういうコミュニティにも近いところにいらっしゃるでしょう。まず、そこで火をつけていけば、その外にいる人たちにも気づいてもらえるようになります。

電子での営業は読者を逃している?

 話題づくり、仲間づくりに成功しても、販売につながらないこともあります。スパム扱いになっていたり、そもそも本が仲間の興味に合っていない場合です。
 どういう情報を、どんな頻度で提供していくと、喜ばれるでしょうか。反応があるでしょうか。それを試行錯誤したり、仮説を立てたりしながら見つけていくことも必要です。
 SNSでは反応しない人たちが、リアル体験によって反応することもよくあります。音楽がその典型例で、駅前でたまたま演奏していた人たちが気に入って、自主製作のCDをその場で買うということは十分に起こり得ることです。ラジオやネットでもレコメンドされていたかもしれませんが、それは「気にはなっていた」としても購入まではいかないかもしれません。忘れてしまいますし。その点で、目の前にアーティストがいて、生で聞く体験をすると、「こんなことはそうそうないぞ」と考えますから、衝動的に購入したくなっても不思議ではありません。
 そこにすでにファンがいて、その雰囲気が気に入ることもあるでしょう。「やっぱり、みんな、これを気に入ってるんだ」と思ったとき、「買おう」となることもあります。
 本の場合は、路上で販売するのは難しいかもしれませんが、なんらかのライブ感覚をプロモーションにも取り入れたいものです。
 セミナーはその代表例でしょう。セミナーをやり、その様子を動画配信サイトにのせる。または、本の紹介をするPV(プロモーション・ビデオ)を制作するのもいいかもしれません。または仲間たちとお互いの本や、興味のあるテーマについて語る動画もいいかもしれません。
 もう一つ考えられるのは、紙の本もつくる、ということです。書店に置かれないとしても、手にとって見ることのできるものをつくっておくことで、セミナーなどでの紹介もしやすいでしょう。抜粋を無料配布してもいいでしょう。メディアにリリースを出すときも、印刷された見本があれば伝わりやすいかもしれないでしょうし。
 SNSの中だけにとらわれず、そこからリアルの世界を含めてカバーしていく方法を考えてみることをオススメします。

自販機? 職人?

 今後の第4号以降では売り方もテーマの一つとしてお届けする予定です。
 ここでは、問題提起をいたします。
「みなさんの本は、自販機で販売している缶コーヒーでしょうか? それとも手づくり職人によるこだわりの長サイフでしょうか?」
 東京・御徒町には「2k540 AKI-OKA ARTISAN」というガード下のスポットがあります。革製品をはじめ、職人たちによる小さなお店が入っています。
 カフェまでも職人気質。私はけっこうこの空間が好きです。手づくりのサイフやバッグなどは、けして安いものではありません。ブランド品に比べれば安いですが、一般品というには少し高めだったりもします。そのかわり、「ここでしか手に入らない」というものもあるし、目の前につくっている職人さんがいたりして質問もできます。
 まさに、つくって売る。同時にやっている世界です。
 みなさんが、もしご自身をそういう世界だと思うのなら、そういうこだわりの本をつくり、それなりの価格をつけて販売することが可能かもしれません。ただし、その場合は売る場所に注意しなければなりません。
 正直、現在、電子書籍が並んでいるストアは、アマゾンでもどこでも、見た目は自販機です。
 自販機というものは、選択肢は水、お茶、コーヒー、ジュース、栄養ドリンクとそこそこありますが、価格帯は限定されています。百円から二百円ぐらいでしょうか。そこに、いくらこだわりの製品だからと、いきなり三百五十円の商品を入れても、売りにくいでしょう。選ぶ側からすると、「なぜ、これはそんなに高いんだ」。目立つことは目立ちますが、悪い意味で目立ってしまう。「こんな高いものを混ぜるなんて!」と思うかもしれません。
 手づくり職人の店は、集客力はありません。名が知られていないからです。そのかわり、納得してくれたお客様は高めの価格設定でも、気に入れば購入してくれます。SNSなどによる知名度アップが可能な世界です。
 自販機では、ブランド力がものを言います。毎日、三十分置きにテレビでCMが入るようなブランド、ということです。そのようなブランドのある製品の横に、ブランド力のない製品があっても、なかなか勝てるものではありません。価格が同じなら、知られている方が売れるのです。アマゾンではそういうことが現実に起きています。
 もし、自由な価格で、こだわりの店として販売したいなら、自前のストアを持つ必要があるのではないでしょうか?
 それとも、別の方法があるでしょうか?
 たとえば、秋葉原ではおでんやラーメンの自販機があって、たまにテレビなどで紹介されますから、ご存知の方もいらっしゃるでしょう。こんな奇妙な自販機が成立するのは、秋葉原という場所だからです。同じ自販機でも、独自路線を目指すなら、そうした人たちだけが集まる場所を狙うのが常道です。
 同じように電子で本を売っている人たちの中には、マンガを同人誌として発行し、そうしたニーズのあるダウンロードサイトで販売している人たちもいます。職人的であり、特別な場所に設置された自販機という感じですよね。それがきちんと売れている現実からすると、自販機路線の場合はどの自販機に作品を並べるかは、重要なポイントになります。
 残念ながら、いまのところ電子書籍を扱うストアごとに、どこがどんなジャンルに強いかはよくわかりません。試しながら、みなさんなりにデータで検証していく必要があります。
 ちょっと話は逸れますが、今後、電子書籍の世界でも、プロの編集者が関わる可能性は高いと私は思っています。そして、それは「本が出せてよかった」といったレベルではなく、「プロが関わることでよりたくさん売れる、より高い価格で売れる」ことを期待されるでしょう。
 やはりプロが関わるからには、より高くより多く売れる製品をつくらなければ意味がないのではないか。私がそれをやれると言うわけではないですが、プロになにかを頼む側からすれば、メリットがなければいけません。その一つが、セルフパブリッシングで売るよりも、多く売れる、高く売れることです。
 その点で、プロフェッショナルの活用では、「本をつくる」部分以上に、「本を売る」ところに期待する人が増えていくでしょう。