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ミャンマーとの出会い

数年前は全く自分の人生プランになかったミャンマー。
ご縁あり、2019年5月をもってミャンマー生活3年目に突入です!
今回は、なぜ私がミャンマーに来ることになったかをご紹介。

原動力となっている中学時代

まずは私の原動力となっている中学時代に遡ります。私が通っていたクリスチャンの中学校では、途上国支援を授業の一環として行っており、当時の私は言われるがままにカンボジアの子供たちの教育支援に携わりました。具体的には教育を受けることができない貧困層の子供達の里親となり、金銭・物資(ノート、鉛筆、洋服など)を支援するというものでした。何の気なしに参加したプログラムでしたが、徐々に、『なんで同じ年頃の子供なのに、たまたま生まれた環境が違うだけでこんなにも差が出てしまうのだろう』、と漠然とした違和感を感じ出しました。

途上国支援を目指した大学・大学院時代

長年の支援を通し、その違和感はますます強くなり、いつしかを途上国支援を目指すようになりました。そして早稲田大学法学部で国際法や国際紛争法、人権等、法学の面から途上国やそれに関する国際政治について学びました。その後、周囲の同級生たちと同じように就活し、幾つか内定を戴きましたが、大学の勉強では物足りない(自分が少し遊びすぎた、飲み会ばかりだった?笑)という思いもあり、『もっと本気で途上国支援を学びたい!自分はその分野で社会に貢献していきたい!』、という思いが強くなり、とっても悩んだ末、海外の大学院への進学を目指しました。

開発学との出会い

そこで出会ったのが開発学。開発学とは、簡単にいうとイギリス発祥の学問で、発展途上国が直面している様々な問題を取り上げ、主に社会・経済発展について学ぶ学問です。一念発起し、開発学部門で世界1位を取り続けているサセックス大学に併設されるInstitute of Development Studies(IDS)へ入学。(※IDSは正確には、教育機関というより研究機関で、DFID(イギリス国際開発省)などから予算をもらい、開発に関わるリサーチなどを行っています。基本はシンクタンクですが、そこに大学院のプログラムがくっついている、というイメージです。)IDSでは貧困削減を大きなテーマとし、難民、ビジネスを通じた開発支援(マイクロインシュランスなど)、ODA、教育などについて研究しました。(詳しくは別の機会に。)

大学院卒業後

マイクロインシュランスを学んでいたこともあり、途上国進出に力を入れていた大手金融機関への就職を決めました。入社までに1年あったので、難民研究機関で研究アシスタントとして、難民ジャーナルの出版や現場での難民支援を行いました。金融機関では営業(入社後3ヶ月の営業研修で売上支社歴代No.1)、営業職員支援、業績管理と多岐にわたって仕事を任せてもらい、社会人としての基本を学ばせて頂きました。翌年からは海外研修も決まり、開発分野で順風満帆なキャリアウーマンの道を進んでいました。

ミャンマーへ移住

大きな転機があったのは、当時お付き合いしていた彼(今は旦那)のミャンマー駐在!かなりの長期スパンでミャンマーへ駐在すると聞き、これはもう私も行くしかない!(彼も来て欲しそうだし!笑)と思いミャンマー勤務のできる総合商社へ転職。
キャリアを変えてまで彼についていくことに結構驚かれたのですが、迷いは特にありませんでした。どこにいても自分次第で途上国支援はできるし(ミャンマーなら尚更!)、旦那と一緒に生活しながら自分の興味があることをできるなんて最高じゃないか!と。(まあでも、実際来てみると、最初の頃は知らない地で思い通りにいかないことばかりで、とっても大変でした笑)

そして今

そんなこんなで来緬し、あっという間に3年目に突入。途上国ならではの心労は尽きないものの笑、仕事と私生活のバランスが取れた充実した毎日を送っています!
これからnoteでは、ミャンマーでの生活、またその中で感じた私見、考察を綴っていきたいと思います。どうぞ宜しくお願いします☆

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