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小枝と雛鳥 其の八(最終回) 

横浜市内のマンションに住んでいた頃。
或る、風水に詳しい方と、お会いする機会があった。
幼少期に大病を患った息子は、既に完治していたものの、
当時は、まだ定期的に病院に通っていた。

そのとき、家の中に数か所、観葉植物を置くことを勧められた。
家族の誰かが不調を来たしていたり、ストレスをため込んでいたりすると、家内の気の巡りが停滞し、邪気が溜まる。
その邪気を植物が自ら吸い取り、枯れることで、気の巡りを改善し、家人の健康を扶ける、というのである。

あの日。南天木の華奢な小枝は、逸れ弱った雛鳥に全精力を注ぎ、自らの命を捧げたのだ。
幹との間に雛の体を挟み込み、誰にも見つからないよう緑の葉で覆い隠し、冷たい雨粒から守った。やがて時が満ち、親鳥からの激励を受けながら雛鳥は、懸命に蓄えた力を振り絞り、天高く舞い上がったのだろう。

「雨が降ったとしても、そのままで」
電話口の女性の言葉を、今一度かみしめる。

自然の成せる技、奇跡のような施しを、日々、幾度となく目の当たりにされている方の崇高な体験から紡ぎ出された言葉には、紛れもない真実が宿る。

「そのまま」で、完璧なのだ。

庭の片隅。ひっそりと佇む南天木。
その、たおやかな勇姿に、私は心からの敬意を表した。




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