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奈良の山寺と遠い佐渡の風景が行き交う、やまと尼寺精進日記

1日の最後の家事。洗濯物をたたみながら見逃した朝ドラを観ていた。15分経っても、まだカゴの中には洗濯物。あーあ、、と思いながら手を動かしていたら、スキップするようなピアノ音が流れ、テレビの画面が緑いっぱいになった。

カメラと一緒にやまと尼寺『音羽山観音寺』の庭に入る。「お久しぶりー」とご住職、副住職、寺子さんが笑顔で迎えてくれる。本堂に上がると、部屋いっぱいに樽が並び、半分に切った青々とした瓜に塩を揉み込んでおられた。奈良漬を仕込まれていたのだった。

奈良漬は、何度も酒粕を替えて、熟成させるそうだ。食べられるようになるまで3年。ほったらかしの3年ではなく、度々樽を開けて様子を見て、酒粕を替える手をかける『3年』だ。そんなに手がかかるのか。私の頭の中で、別の映像が流れ始めた。

子どもの頃。朝から夕方まで過ごした祖父母の家は、駅前の小さな商店街の並びにあった。お向かいの大きな家は奈良漬け屋さん。遊びにいくと、ふわーっと甘い奈良漬けの香りがした。幼い頃から、私はそこの奈良漬けが大好きだった。一度だけ、仕込みの樽が沢山ある作業場にそこのおじいさんが孫娘と私を入れてくれた。たくさんの樽とそれをじっと観るおじいさんの顔まで浮かんできた。

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画面では、ご住職の密榮さん、副住職の慈瞳さん、お手伝いのまっちゃんが賑やかに口を動かし手を動かし、お昼ごはんを作っていく。明日のお昼、私もそれにしよっかなあと思いながら、手を動かし洗濯物をたたむ。番組が終わるころには、心軽やか。その日最後の家事も終わっていた。

その夜から、毎月の放送が楽しみになった。カメラと一緒に私も毎月音羽山観音寺へ訪れる気分だった。ざるいっぱいに広がった梅で梅干し仕込み。お勝手のテーブルに夏野菜が山盛りに置かれ、手際良く作られる揚げ浸し。檀家の奥さんじゅんこさんが作られる、大きなお鍋いっぱいのゴーヤの佃煮。夏は縁側でスイカを食べてはった。

毎回観るたび「懐かしいなあ」と思うのは、私が子どもの頃見てきた風景と重なるからだろう。浮かぶのは、毎日過ごした母方の祖父母の家より、夏休みの数日を過ごしただけの父方の祖父母の家での風景の方が圧倒的に多かった。

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庭の畑で捥いで食べたトマト。「おひさまの味」ってあるんやと知った。祖父と一緒に畑に行き、西瓜が生るのを初めて見た。帰ってきたら、祖父がおっきな桶に入れて西瓜を水で冷やしてくれた。あの西瓜、めちゃめちゃ美味しかったなあ。大人になって父と帰省した時は、伯母ちゃんが作る梅干しがとんでもなく美味しくて、1キロもらって帰ったんやった。いつか梅干し仕込みたいってあの頃から思ってたな。

テレビを見ながら毎回思い出が巡る。尼寺の人たちと檀家さんや里の人たち。その人達と季節を味わう。そんな時間が大好きになってしまった。ついに番組書籍まで購入。



番組で紹介された料理のレシピ、写真もふんだんに載っていて、眺めていると心が柔らかくなる。また、書籍には、毎回東京から訪れる番組ディレクターさん達と、ご住職の往復書簡が掲載されていた。ディレクターさん達が最後に毎回ご住職に質問される。ご住職からのその答えが、自分や他人を大事にしておられる人柄ならでは、の答えで、幾つも付箋を貼ってしまった。

『おわりに』でプロデューサー 倉森京子さんが書かれていた思いは、東京や都会で忙しなく働き暮らす人が、少し立ち止まってしまうような文章だった。

「ぎりぎりとあれこれ考えぬき、死にものぐるいで作るべき」

そう考え長年番組を作ってきた倉森さんが、「新しいことなんてあるんだろうか」と不安になりながら毎回やまと尼寺に通い続けて番組をつくり続けたこと。毎回、その不安は見事に裏切られたこと。観てくれる人に届けたいこと、そのために大切なことに気づいたことを書かれていた。

作り手のそんな思いがあったから、私もきっといくつもの風景を思い出したんだろう。それは、新しさも特別さもない、華やかなイベントでもない、幾つもの小さな思い出。でもそれは、自分が今暮らしていく上で、大切なことだと改めて教わった気がする。

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放送は今年3月で終了。だが、再放送されている。ご興味ある方、ぜひ一度ご覧を。

●おまけ

川上ミネさんの挿入音楽も好き。最近ずっと聴いている。


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夏の思い出

美味しいはしあわせ「うまうまごはん研究家」わたなべますみです。毎日食べても食べ飽きないおばんざい、おかんのごはん、季節の野菜をつかったごはん、そしてスパイスを使ったカレーやインド料理を日々作りつつ、さらなるうまうまを目指しております。