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弱者に居丈高になる「男」と言う存在

先日母を連れて墓参りに行った時にあれこれ感じたので書いてみます。

ホームにベンチがあって母は座ろうとその近くに歩いて行きました。サラリーマン2人が真ん中の席にカバンを置いてその両側に座ってあれこれ話していました。大きな荷物というわけではないので、自分達の膝に置いてほしいなと思うわけですが、サラリーマン達に動きはありません。二人の視界に母の姿は入っていたはずです。

「すみません、荷物...いいですか?」と言おうかなと思って、私がベンチの近くに行くとサラリーマンは荷物をどかして席をひとつあけるようになりました。

これはおそらく私が「男」だからだと思います。

別に私が怖い顔だったり体がものすごく大きかったりと威圧感があるわけではありません。でも世の中には女性や子供、高齢者など自分より弱いと思う存在に冷たい態度をとり居丈高になる「男」が存在します。

私は自分ひとりで出かけたなら、階段もスムーズにあがるし、電車内でもホームでも特に座らなくても大丈夫なので不便だと感じる箇所は少なく、わざとぶつかってこられるなどの嫌な思いをする事もほとんどありません。だから高齢の母を連れて出かけた時に気づく事がたくさんあって、男性の傲慢な行動がそのひとつです。

世の中にある街のつくり、社会のシステムを見ていると、それが心身ともに健康で、妊婦や高齢者、子供を連れているという事を全く想定しない男たちが集まって考え、何の疑問も持たずに作ったんだろうなとわかります。だから男として生まれた時に付与されたアドバンテージにも気づきません。

長い事この国では当たり前のようになっていたので、世界が変わっているのに今だに日本にこびりついている男中心の思考。そこをあれこれ考えてnoteに書いていきたいと思います。

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