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猪がきた

どうぶつ歳時記②
 
  猪がきた
              胡桃
  
 猪が来て空気を食べる春の峠  金子兜太
 
 金子兜太の有名句である。猪が峠に立ち春の暖かい空気に喜ぶ気持ちがあふれている。どうぶつ達だって春がうれしいのだ。
 山の家がある遠野でも、猪の目撃情報や被害の話を聞くようになったのは、ここ二、三年のことだ。北東北には猪はいないと思っていた。猪は足が短いから雪深いところでは暮らせないという人もいる。温暖化で雪が少なくなったから猪が北上してきたという話も聞く。被害は東北全県に広がっている。
田畑や山の植物も鹿の被害に悩んでいるのに、猪まで来ると暗澹たる気持ちになる。山の家の家庭菜園は電気柵で囲っているが、鹿が入り込もうと攻防戦をつづけている。
 猪に電気柵はきくのだろうか。震災前までは電気柵なしで畑も悠長にやっていられた。わたしの感覚では東日本大震災以降、獣たちの生活圏が変わっていったように思う。
 東北に猪はもともといたという説(温暖化で雪が少なかった時代もあった)と西から連れてこられたという説もある。三内丸山遺跡からは猪の骨が出てきているので、食料にされていたのだろう。弘前市からは猪のじつにかわいい土製品がでてきている。
 わたしはまだ猪は見たことがない。去年、福島の浪江町津島の帰宅困難区域に連れて行ってもらった。スクーリング場で白い防護服を身につける。手袋もつけ足カバーも二重にし、まだ除染もままならない山里の集落に案内される。ガイドのKさんの実家が津島にある。その家を見にいくのだ。「来るたびに猪を見るけど、今日はいないなあ」ということで、その日は猪を見ることはできなかった。ところどころに大きな檻があり、猪のワナだとのことであった。
 Kさんの実家は大きな酪農家だった。畜舎や小屋があるが草木に覆われている。母屋にはいる。二〇一一年三月に避難した時のまま洗濯物が干してある。大きな仏壇の上にはご先祖様の写真。大きな神棚もある。その下はおびただしい羽根が散らばっていた。なんだと思ったら、羽根布団の羽を出して、たぶん猿が遊んだのだろうとKさんが教えてくれる。布団の上には猿の糞がある。猪も入り込んでいるかもしれない。庭には猪が掘った穴がある。
 津島には昔から猪がいた。猪猟も行われていて、猪の肉を食べていてそれは美味しかったそうだ。津島は、水がきれいで山菜や茸が豊富、肉も採れて雪も少なく縄文の時代からヒトが住んでいた。平安時代に祖先をもつ人々の集落の家も長屋門のある家など立派なものが多い。豊かな生活が営まれていたことがわかる。今は家も田畑も山林もうち捨てられている。猪をはじめ野生動物の天国となって、繁殖をつづけ増えている。
 いや天国ではない。放射能の汚染で帰宅困難区域になっているのだから、どうぶつにも草木にも影響はある。「ただちに影響はない」と言っても、長い年月を過ぎてどんな影響がもたらせるか、だれにもわからない。
 美味しい猪はもう食べることはできない。放射線量が高すぎる。地を這って暮らす猪に放射能が蓄積する。わたしたちが知らないだけで、癌に侵され苦しんで死ぬ猪もいるかもしれない。猪はわからないだろう。なぜ苦しいのか。獣たちはジタバタせずに野垂れ死んでいく。
 猪のことを考えていたら、ジブリ映画の「もののけ姫」を思い出した。冒頭に出てくるナゴの神という猪は、タタラ場のエボシ御前に石火矢(鉄砲)で撃たれ重傷を負って「たたり神」となる。
 後半に出てくるのは、乙事(おつこと)主(ぬし)さまという大きな猪。九州からシシ神の森を守るために同胞を連れてきた。猪がだんだん小型化して人間に食われていくのを憂いている長老だ。エボシ御前の鉄砲隊に猪突猛進で戦いを挑むが、鉄の武器、火薬には歯が立たずに全滅させられてしまう。山の神々の住む神聖な場所を、人間が鉄の武器を持って征服しようとする。なんのために? 鉄をつくるためには、砂鉄をとり、山から木を切って燃やす大きな火力が必要だ。自然から収奪することで武器ができあがる。武器で獣を捕り、戦に使用し自然を壊す。
 現代で自然を殺す最大の武器は放射能である。殺傷力があるだけでなく、細胞や遺伝子レベルで生物を壊していく。その後の物語は「風の谷のナウシカ」になる。
 あらためて宮崎駿監督の物語のすごさにうたれる。
 
 猪の腸(はらわた)あらふ瀬波かな   飯島晴子
 
 この句の景色は秩父だろうか。秩父も猪料理が有名である。山の人は猪を丸ごと頂いていたのだろう。
 
 
 
 
 
 

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