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ちいちゃんのかげおくりを感じる①

 小学校国語科光村書籍3年に掲載されているちいちゃんのかげおくりです。この作品、涙なくしては読めないという方も多く、教科書の作品のなかでも、最も悲劇的な作品です。ただし、単に悲劇的と言うことなど決してできない何か重要なものを読者の心に残す作品でもあります。

 この話は、太平洋戦争末期の日本の都市部が舞台で、まず戦争というテーマが大きく存在しています。戦争。それは平和の反対語で、この世の地獄を意味します。これは個人、家族、国家、人類にとって共通の大きなテーマです。だから、戦争のインパクトの大きさにより、この話の本当に大事な部分にまで読者の心が及ばないということが起こる場合があります。

 まず、読者は作品の冒頭で、日本が味わった戦争というと対峙しなければなりません。そして多くの読者が、空からの攻撃が町や人々を襲う恐怖に圧倒され、物語から目を背けたくなるような思いに駆られます。そのようにして読み進めていくと、ちいちゃんのその後に待ち受ける悲劇を読んでいく際に、「戦争はひどい」「戦争さえなければ」「戦争は悲しい」とすべてを戦争に結びつけた形で作品を捉えようとします。もちろんそれは正しくて、その通りのことなのですが、作者は単に戦争の悲惨さを伝えたかっただけなのでしょうか。それと同時に何か伝えたいこと、または読者の心に生じさせる何かがあるとしたら、それはどんなものなのでしょうか。

 戦争が激しさを増していく中で、ちいちゃんは家族みんなでしたかげおくりの遊びができなくなり、ある日の夜空襲警報のサイレンを聞いて家族3人で逃げますが、はぐれてしまいます。そうして家族以外の大人の人にも出会いはするけれど、結局一人ぼっちになり、家族の帰りをひたすら待ち続けてそのまま亡くなります。

 この悲劇、おそらく多くの読者はちいちゃんの想いと読み手としての想いが交互に行き交うようにして胸を締め付けられることとなります。

 例えば、母とはぐれて「お母ちゃん、お母ちゃん。」と叫ぶちいちゃん。お母ちゃんと思しき人を見つけるも違う人だったときのちいちゃん。たくさんの人の中で眠るちいちゃん。家の跡について部屋の場所を確かめるちいちゃん。「帰ってくるの?」と聞かれ深く頷くちいちゃん。「じゃあ大丈夫ね。」と言われまた深く頷くちいちゃん。また一人になり、干し飯を食べ眠るちいちゃん。そうして朝が来て夜が来てを一人繰り返すちいちゃん。

 本来、家族に大切に守られ安心して暮らすはずの幼き子の身に起きた悲しい出来事と、まだ物事をよく知らないながらも悲惨さは感じつつ、強く信じ続ける。信じることだけが救いであるちいちゃんの姿が短い文章の中に描かれます。

 ここで、読み手は一体何を感じているのか。何に胸を締め付けられるのか。それを明らかにしなければなりません。

 まずは、はぐれてしまい、たくさんの人の中で眠る所。ちいちゃんはお母さんと手をつなぎ走ることになり、たくさんの人たちにぶつかり、はぐれてしまいます。その後、おじさんに連れられ、橋の下へ行き、たくさんの人たちの中で眠ります。ここで対比的に描かれているのが、お母さんとたくさんの人たちです。ちいちゃんにとって絶対的な存在の家族と名前も分からないその他の人々。

 この対比で読み手は、ちいちゃんの置かれた悲しい状況を目の当たりにします。そして、同時にちいちゃんの心の中が自然と感じとれます。「お母ちゃん、お母ちゃん」と叫ぶちいちゃん。お母ちゃんと思しき人がお母ちゃんでなかったこと。たくさんの人の中で眠ること。それは「お母ちゃん、お母ちゃん」と叫ぶちいちゃんの絶対的な存在を失うかも知れないという恐怖と不安と焦り、見つけた人がお母ちゃんでなかった時の期待と裏切り、そして、たくさんの人で眠ることの寂しさと虚無感をダイレクトに表します。

 でも、そこには重要な要素が含まれていることを読み手は感じざるを得ません。それは、ちいちゃんが一体その感情をどの程度抱き、理解できていたのかという要素です。話し方や挿絵から想像するに、ちいちゃんの年齢は3〜4才程度でしょう。この小さな胸の中で一体どれほどの受け止め方をしたのかと想像するから、読み手は心を締めつけられるのです。あまんきみこさんも、この小さな胸の内を読み手に想像させることに最も注力したのではないでしょうか。

 

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