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ワクチンを打つか、打たないかを2か月間考えてました

ワクチンを打つか、打たないか。

慎重派だったんだけど、結局昨日1回目を接種してきた。


ただ、ワクチン自体の安全性には未だ懐疑的だし、20代の若い世代かつ外出をそれなりに自粛できる人なら打たない方がいいと思っている。


自分は卒論のための実験等で不特定多数と密室で会わないといけない事情を踏まえて打つことにした。ワクチン打ったら感染しない、というわけでは全くないんで、別に打とうが打たまいが研究室から感染者が出るということはあり得るのだが、打ってなかった場合の精神的ダメージを考えると打つに越したことはないと考えた。

打っていれば「最善の努力はした」と思えるが、そうでない場合は自責の念で苦しめられることだろう。


しかしこれを無慈悲に言い換えてしまうと「気持ちの問題」でしかない。ワクチンそれ自体のリスクについて考慮していないし、賢い判断とは言えないかもしれない。

だが、時には理路整然とした理屈よりも、気持ちを重視するのが人間であるとも思う。


ワクチンをコロナ禍収束のために打つ、といった友人もいた。つまりは「個」より「公」を優先するという考えだ。

しかし、デルタ株の登場によってワクチンの集団免疫獲得による収束は厳しいことが他国の状況から証明されてしまった今、そうした方向性の「公」への貢献も疑わしいところだ。それでいまいち接種に踏み切れないところがあった。

まあ、それでも医療崩壊を防ぐという面から「公」への貢献はできるかもしれない。

しかしそれでも「個」の利益はどうか。コロナにかかった20代の大多数が重症化しない。基礎疾患がなければ死亡するリスクは超低確率。それを防ぐために数年後どうなるかわからない異物を体の中に入れる。個人レベルで考えればハイリスク・ローリターンなギャンブルでしかない。


ワクチンを打つべきか、打たざるべきか。「公」と「個」の戦いだ、と自分は思っていた。

しかし、非常に身近な「公」に起きる悪い状況は自身の気持ちという「個」に大きな影響を及ぼす。

「自分の『個』のなかに『公』の一部が含まれている」ということに気づいたことで、自分の中の議論は決着した。人によってはそうでない人もいるだろう。別にそれでいいと思う。


ワクチンのリスクについては未だに議論がある。そう、「誰にもわからない」。だから、「安全です」と言い切ることも「殺人ワクチンだ」と断言すること共に適切ではない。

ただ、長期的な治験が終わっていないという事実、接種後に髪の毛が全部抜けた人がいた事実(因果関係についてはまだ不明)、mRNAワクチンの性質上、他の病気にかかったときに自己免疫疾患みたいになるリスク(低いけどね)が存在すること、これらは考慮しておかなければならない。


個人的には別にワクチンによって自分が死ぬことに関してはどうでもよいと思っていて、とにかく自分が納得できたらワクチンを打とうと思っていた。

2カ月も考えて出した自分の選択に悔いはない。





ただ、もっとなんも考えずに打っときゃ楽だったのになあ~~~。

おわりです。

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