僕が文章を書き慣れている理由

8月からnoteを毎日投稿していますが、特に目立ったクオリティの低下などはなく、体温の乗った文章を書けていることを感じています。

一度書いた文章は、当時の熱量のまま置いておきたいので、あとから編集を加えたりすることはしないようにしています。

noteを読んでいて「おもしろいなー」と思うのが、

圧倒的に「スキ」を集めた記事を、後で大きく編集するような人がいないということです。

例えば、1000スキ集めた記事を後で編集して
「ウンコ」の三文字にすることだって可能だと思うのです。(小学生みたいでごめんね)

でもそれをする人はいない。

なぜなら、

一度体温を乗せて書いた記事には、(自身にとって)圧倒的な希少価値があるから。

だと思うのです。

文章を消して、2度と読み返せなくなるようなことはしたくない。

でも「ウンコ」の三文字で1000スキがある記事もおもしろいよね!笑


そんなことは置いといて本題です。

実は僕、中学3年の頃から「日記的なもの」を現在まで書き続けているのです。

書くタイミングはバラバラで、月1のペースの時もあれば、半年後久しぶりに書く時もあります。

書きたくなるときに書きます。頭の中に文字が溢れ出たときです。

だいたいエモーショナルな気分になった時が多いです。(それか悩みきったとき)

「忘れないでいたい」と思ったときに書くようにしています。

文章を書く仕組みをよく理解していない昔の頃は、こんなに「ノートを書くこと」に依存してしまってもいいのか?という不安がありました。

でもいろんな本を読んでいると、文章を書くことがおすすめされていて、

自分以外にも書いて残している人はいるんだ!と思ったのを覚えています。

書こうと思い立った理由は、シンプルに自分が好きだからです。(みんなそうだと思います)

今では「書いといてよかった!」と思っているし、「これからも書いていきたいな!」とも思っています。

僕がnoteに書く文章のかんじは、そのノートに書く文体と雰囲気が似ています。

だからシンプルに書き慣れているというのは、あるのかと思っています。

文章を書くのが性に合っているんだなーと
最近実感しています。

「note」と「そのノート」の使い分けは、
みんなに見られるか、自分だけの秘密にするか、です。

これはもうホントに潜在意識に影響しているのを実感しています。感覚的にわかります。

「見られる」という意識で書くのと、

「自分しか見ない」という意識で書くのでは、

全くもって違うのです。溢れ出る言葉も変わります。

「そのノート」は一生僕の味方で、相棒です。

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