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今を生きる

ついさっき大学で福祉論の授業をうけていた。

講義中に先生の言う言葉はもちろん将来的に大事なことなのだが、まったく頭に入ってこない。

おまけに先生の声は聴いていると眠たくなる。お経を唱えるふうに聞こえたので、
右耳から左耳へと受け流していたのだ。

ちょっとしたもの思いにふけっていたのである。

前向きだった過去の自分のことを考えていた。

バイト先でのこと。

そういえばなんで自分あのときあんな事を言えたんだろうか。
やたらと気合を入れて。
なんか一所懸命にバイトしてたし
接客の一つ一つ楽しもうとしていたような。
一緒に働いている同級生に少しでも仲良くなれればと話しかけたような。

最近筋トレに身が入らない。

途中でもう疲れたからやめてしまおうかと考えだしてしまう。

やたら張り切って筋トレし始めたあの時の自分を思い出す。

自分磨きをしたらなにか変わるという期待が大きなモチベーションとなっていたのだろうか。

逆にいうと特に日常に変化がおきないので
今の自分は燃え尽きてしまったのだろうか。

そんなことを考えはじめる。

こういうときに大事なのは原点回帰だ。

いわゆる初心に帰るというやつ。

前向きになり始めた自分がなにから始めたのかを考えて。
そういえば。と、思い出した。

まず今を必死に生きよう。

これだった。

やたらと積極的にとりくもうとしているその姿勢は、納得を優先していたからだ。

寝る前にあのときああしとけばよかった…
と後悔しないように、自分が納得する行動を心がけていたんだ。

筋トレだっていまこの瞬間だけでも前に進んでいる気がしたから必死だった。

「過去に比べて」とか「継続することで」ではないんだ。

必死生きるという表現はなにかあやふやだけど
自分の中でははっきりしている。

その状況において、個性100%で自分らしさ全開でその瞬間を楽しんでいる自分ならどうするか。だ。

そこでだ。

その福祉論の講義。

納得する自分らしさがあるのなら

暑い中マスクをして長い時間説明してくれる先生のことを考えて

うんうんと話を聞いて
先生の求めているリアクションには答えて

学ぼうとする姿勢になることが

今を必死に生きているって感じが
なんとなくするけどなー。

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