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拝啓、母上さま 体調を崩して弱気になった息子より

何かと生きてる実感を与えてくれるここ最近、当たり前だと思ってましたなんて人は言いますが、当たり前になっている事柄を、人ははたして、思ったり考えたりしてますでしょうか。当たり前という解釈がそうではないと崩れ落ち、ふと気づくのでしょう。だから正確には、当たり前だなんて、思ってもなかったのですよ。ややこしいですよね。

洗脳とは他者や社会から受けるものだけではないようです。自身を洗脳したりもするじゃないですか。こういうものが混ざり合って結果的に多様化した個が集まって社会なら、噛み合わないのも無理がないと思います。だって、当たり前領域にある正しさには、疑う余地がないんですから。

ぐちゃぐちゃに混ざりあったゴミ、これらは例えば八畳くらいのエリアにごった返していた粗大ごみの山なんかを片して、物がなくなったあとの地面を掃いたりして集まられたかたまり。そういう物をひとくくりに混ざりあったゴミと称しておきますね。粗大ごみと呼ばれるには、いちおう道具として、複数のパーツがあるべき場所、もしくはそれに近しい場所に組み込まれて機能しているか、もしくは、かつては機能していたと疑いようのない範囲にとどまっていなければならないじゃないですか。無念にもその範囲を外した物は混ざりあったゴミ分の一であり、元パーツといった正確な解釈はされない場合がほとんどですよね。

反抗期というものが人間の成長過程にはありますよね。母上にしてしまった数々の無礼を記憶しておりますが、母上が私に投げつけた累積二本のスプーンは、どうにも大人になりきれない私にとって、世界を代表するスプーンなのです。その証拠に、母上のつくるカレーは味の記憶であり、どんなスプーンで食べたかなどはあまり覚えていません。一方で、母上の投じた二本のスプーンは、色形まで鮮明です。あのスプーンで母上のカレーを食べたい、そんなことをたまに思う永遠のマザコンなのですよ。

世界がどんなに混ざり合ったり、わかり会えなかったり、大きな武力どうしが衝突したりしても、私は母上を世界のマザーズと混ぜたり、ましてや見誤ったりはしないですよ。かつての二本のスプーンが飛んだのは、その瞬間の正しさを共有できなかった我々親子の小さな武力衝突です。中年ながら帰省するたびに髪を切れと言われる私と、懲りずに言い続ける母上。これはお互いが内側に無意識の中に混ぜ込んだ思い込みの結果が表面化した母子間の違いです。反抗期ではないのですよ。

人の世界で完全なる平等は成立しにくいと思うのです。多くの人が地球の裏側の家族愛を尊重するはずですが、同時に誰もが近くにいる人を大切に思う。そこまではよくても、大きな力をもった大きな欲望は混ぜなくていいものを混ぜるじゃないですか。混ぜられたそれぞれは、それぞれに思い込んだ正しさを疑わないし、時に疑えないですよね。

大きなことはよくわかりません。
言葉はいつも紛らわしいですし。

私の当たり前の一つ、疑う余地もつもりもないもの。
私の母上はあなただけですよね。

そういう領域を害す意思が現れれば、
私は武力で挑みます。

母上が武器として投じた二本のスプーンと、
ろっ骨で受け止めた成長期の私のからだ。
その近距離の間にあるものは愛ですよね。

家族を守るためならスプーンではない事態相応の武器を導入宣言するという、中年期の私の思想。
その武器で標的を狙う私が後ろに守るもの、それも愛ですよ。やはり人間のかたまりは分かりにくいですね。

父上の影響もあって自然との触れ合う機会には恵まれてきた私なりの経験から、気づいたことを少し書いておくことにしますね。

ウィルスさんが脅威なのは、彼らが生き物だからだと思います。人間が命がけで種をつなごうとするように、彼らもなりふりかまわず種をつなごうとしているのですから強烈なんですよ。ちなみに変身能力は随分相手が上手なようです。おまけにこちらの社会は変化が苦手です。こっちも本気で挑まなければやられます。

これは釈迦に説法ですが、種は変異しても、混ぜたりましてや変えようとしないほうが私は安全だと思います。混ぜるのはカレーだけでいいと思います。カレーは種そのものではなく、料理の種類ですから。


いろいろありますが、どうかお元気で。

追伸
ウィルスさんにスプーンは効果が見込めないと思います。どうか賢明に。




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