運命はタイミングとバランス

こんにちは。
つい先日私の内面を描く本に出会い心に痛手を負った松澤です。

今までアンダーグランドで幻想的な作品が好きでたくさんの暗い本たちに囲まれていましたが、エンパシーを感じるのは作品の一部で、これは私の半生であると言い当てられるような経験はしてきませんでした。
また、作品に凄みを見せられることは何度もありましたが、その作品を生み出す作者の感性に惹かれることが多かったのです。

「ひとめあなたに」新井素子

この作品に出会うまでは。

新井素子さんの作品を読んでいる最中には何度もかつての感覚を思い出し、自己嫌悪とも言えない気持ちの悪い自己愛的な何かをこねくり回されました。
(私が面白い本に出会った時には大体笑いながら読むので苦悶を抱えてページを捲る瞬間はもはや不快に近かったです。)

感じた何かのほとんどは言葉にできないまま感覚として残り、衝動的に言葉にしなくてはとクラクラしながら感想を残しました。

 これまでの24年間をダイジェストに見たような思い。思い返せば返すほど影が色濃くなっていき朧が姿を現した。生きていることの曖昧さに死ぬことの明確さ。その渦に飲み込まれた人間が言葉にできない人間の存在を共有する。これが出来たなら私はやっと生きたことになるのだろう。この作品には出会うべくして出会えた大事な一冊だ。
 解説に「小フリイデマン氏」が登場して私はいよいよだめになった。私の全てを言い当てるようなこの作品はもはや危険だ。放つ香りが強すぎて身悶えてしまう。こんな読書体験はこれまでなかった。
強いて最近のことをあげるのなら、「絶対安全剃刀」を再読した時「A子さんの恋人」の最終巻に挑んだあの瞬間、または「存在の耐えられない軽さ」あるいはトーマスマン初期作品集の1話「幻滅」を読み始めた時、ポーの残した一文、江戸川乱歩との共鳴、中井英夫の幻想綺譚。最も近いのはタルホ「花と存在」に出会った時。それでもここまで言い当てられた、まるで片割れを見たような作品はなかった。
この作品を読んだ24歳というタイミング、出会うべくして出会った本。初めて運命なんてあやふやな迷信を受け入れざる終えなくならほどに憔悴している。

この作品はもともとカニバリズムが登場する作品として名前が記憶に残っていたので取り寄せた経緯があります。

なのでカニバリズムをどう描くのだろうとページを進めてくと現れたのは私の幻影です。
これはびっくりびっくり。

この作品には主人公の他に3人の女性が登場します。
彼女たちにはとある共通点があり、それこそが私の半生の反省につながるキーワードなのです。

詳しく書きたいのですがネタバレになるので控えます笑

ただ一言まとめると
「私たちがいるこの世界の現実をリアルであると決定づけているのはなんであろうか」
こう言った疑問を抱えた私たちへの挑戦状なのです。

私たちは現実に生きていますが、その現実を自覚しているのは主観だけです。
たしかに質量が存在し、世界が法則によって成り立っていることからここは現実であると言えるでしょう。しかしながら私の意識は結局自分自身にしか共有できず、現実的な物理世界とその法則を乗り越える精神世界は私たちの中でカオスを作り出します。想像や妄想はフィクションの産物ですが、それを楽しんで救われて現実を生きている私たちでもあります。物質的世界の中のみで人は生きることはできないし、精神世界のみで生きていくこともできません。

うつし世は夢
夜の夢こそまこと

こんな一文を残したのが怪奇幻想の巨匠エドガー・アラン・ポーです。
(と思っていましたが、ポーの「夢の中の夢」という詩にインスピレーションを受けた江戸川乱歩の言葉でした)

現実はどこにあるのか。
物質的世界は現実で、精神世界は虚実であるとは本当か。
精神世界と物質的世界が逆転しうるのではないか。
それを人は「狂っている」と言うが、本当にそれはおかしいことなのか。
ただ、精神世界で真っ当に生きられるのなら私たちは世界を反転させてよいのではないだろうか。

この疑問は虚実と現実が裏返りそうだったかつての私の反映で、「ひとめあなたに」は今の私へ生きることのヒントをくれた作品です。

少しタイミングを間違えて、一年前に出会っていたら私はこれをカニバリズム探究の参考資料程度に思ったかもしれません。

今だからこそ心に突き刺さった作品なのです。

世の中の出来事や様子はタイミングとバランスからなっている。
銀色夏生さんの詩集から見つけた言葉ですが、このタイミングとバランスが整った時、運命と人は言わざる終えなくなるのでしょう。

では良い夜を、素敵な夢を。

松澤





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