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誰がその思いを成仏させるのか?(ハラスメント防止講習・講師のみている景色)

私が稽古場でのハラスメント防止講習に入らせていただく際、「これまでにハラスメント防止講習を受けたことがありますか?」とよく質問をする。
2023年8月現在、8割以上の方が「無い」の稽古場もあれば、7割以上の方が「ある」の稽古場もある。稽古場によって全く違う。

いろいろな現場にハラスメント防止講習を導入していくには、まず講師の数を増やさないと全然間に合わないなと思う。

「どうやったら講師になれますか?」という質問を受けることもあり、ハラスメント防止関連の講座はたくさんあるので、そういったものを受講して知識を付けて、自分でやってみる、ということになるのだけれど(これがないとできないというものは無い)、ハラスメントに関する基礎知識は座学で身につくが、講師をやるには、(少なくとも2023年の今は)講師のメンタルもかなり重要だなと感じている。

稽古場にいる方々それぞれに、いろいろな思いがある。

そもそも、そこの場にいる全員が「ハラスメント防止講習を受けられて嬉しい」「ハラスメント防止講習は創作の現場に必要だと思う」という前提に立っていない。(ここが重要)

「そんなにわかりやすく全身全霊でアピールしなくても」と思うくらいに、露骨に反抗的な態度を示されるケースもある。講義資料を1ページもめくってもらえないとか、正面を向いて座ってもらえないとか。(それはその人がそうしているというよりは、その人の過去がそうさせているんだと考えている。)

逆に、講習をやっているなかで、顔をあげて講師に向き合い「うん、うん」と相槌をうってくれたり、「あるある!」みたいに反応を示してくれるのが、だいたいどの稽古場でも20代~30代前半の若い男性であることに、ある日ふと気が付いた。それが多くの稽古場で同じで、「なぜだろう」と思っていたのだが、それは、おそらく(少なくともご自身の認識の中では)まだ加害者にも被害者にもなっておらず、また「ハラスメントがない創造環境」に対し、他者にも分かりやすく見える形で同意を示しても、そのことで不利益を被らないからなのではないかと思う。

上記の男性と同世代の女性は、心の中で同意してくれていたとしても、激しくうなずいたり同意を示すアクションを起こすことで「それが周囲にどう認識されるか」までを考えている(考えざるを得なくなっている)んじゃないかと思う。なので微動だにせず聞いている人が多い。社会がそういう抑圧的な態度を強制してきたのではないかと思ったりもする。
終わった後に話しかけに来てくれたり、個人的に質問に来てくれるのはこの方々が多い。

60代以上のキャスト・スタッフさんがいる現場に入ることも多い。「業界の理不尽に耐えたから生き残ってプロフェッショナルになった」という信念がある方も多く、「ハラスメントがない創造環境」なんかでは人が育たないと考えている方もいる。ろくでもない人間でもいられるのが演劇業界であり、そういう人を追い出したらつまらなくなる、業界の存在意義がなくなると思っている人もいる。またこれまでの自分たちのキャリアが否定されるのではないかという不安や恐怖心も根強い。「ポリティカル・コレクトネス」と「ハラスメント防止」がごっちゃになっている場合もあり、演劇業界でハラスメント防止の動きが広がると、汚い言葉遣いの台詞が台本から削除されるんじゃないかとか、暴力や加害表現のある芝居ができなくなると思っている方もいる。そうではない、芝居の内容の話と、創造環境の話は全く別だという話からすることも重要だったりする。

20代と60代の間に挟まれている世代(30代後半~50代)も複雑だ。
下の世代からは、ハラスメントに対しての厳格な対応を求められ、上の世代からは「最近はなんでもかんでもハラスメントって言われて、何も言えなくなっちゃうよな~」などという意見に、パワーバランスから、本人はそう思っていなくても「いや~そうですよね」と迎合せざるを得ない状況もあったりする。
また、自分も加害者になるかもしれないし、被害者になるかもしれない。相手を傷つけてしまったかもしれない心当たりはいくつもある。また、自分がこれまでにいた稽古場や作品で「これはハラスメントでは?」と思うことがあっても、介入できなかった、見過ごしてしまったという経験を持つ方も多い。

そして、40代以上の女性の演出家、プロデューサー、テクニカルのチーフクラスの方々。男性中心的な業界の中、壮絶なハラスメントの中、戦いながら生き残ってきたのだと思う。だからこそ、「ハラスメントがない創造環境」になるということが頭では良いことだと分かっていても、自分たちが耐えてきた過去の傷を誰が償ってくれるのか、癒してくれるのか、といった成仏できない思いを持っている方もいる。私と同世代の方に「自分は今日の研修で言っていたようなハラスメントをすべて受けてきた。これがダメだということは分かる。だけど、自分が経験したことを経験せずキャリアを積める若い世代のことを「ズルい」という気持ちがどうしてもある。自分の記憶を全部消さない限り、この考えは変わらないと思う」と言われたこともある。

別に年代ごとにカテゴライズして決めつけたいわけでは全くない。年齢やジェンダーやキャリアに関係なく、個々人ごとにハラスメントの意識は全く違うというのは大前提。

私が伝えたいのは、こんなに様々な思いの方々が、今、同じ稽古場にいて、稽古をしているということ(そして普段は決して可視化されない)。

ハラスメントは絶対だめですよね、という言葉すらも、そのまますんなり受け止められるわけではない(その背後には本当に複雑な思いがある)という事実。

講師にはそれが「事例の紹介」であったとしても、受講している方の中にはそれが「現実」や「傷」のケースがとてもよくあること。つねにその可能性に思いを馳せること。

講習後の質疑応答の時間などに、いろいろな思いがあふれ出し、それが講師に対して向かうケースも少なからずある。
戸惑いとか、飲み込めない思いとか、過去の憤りとか、いろいろ。

ハラスメント防止講習は、今よりも未来に対しての予防のための施策だけれども、すでに誰かが傷を負っている「過去」に対しては無力だと痛感する。
その、自分の無力さをかみしめつつも、今日より未来に、同じ思いをする人が少しでも減ることだけを信じ、やるしかないのかなと思う。

こんなことを書いたらますますハラスメント防止講習の講師やる人いなくなりそうだけど、先にこの仕事をしている者としてちゃんと言語化しておかねばならないと思った次第。

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