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身辺雑記:故郷へ

 妻が亡くなって早いもので1年と2ヶ月たった。あっという間である。

 どうするか迷っていたことがある。
 コロナ禍で延期されていた中学の同級生による「古希のお祝い会」への出席である。

 コロナ禍の前から田舎には帰省していなかった。それは彼女の病気があったからだ。

 彼女の闘病生活は5年続いた。
 発見された時にすでにステージ4であった。リンパ節と肺に転移していた。肺の5分の4はすでに冒されていた。原発の甲状腺ガンと転移していたリンパのガンの切除には無事に成功した。しかし、放射線による肺に転移していたガンの除去は全然できなかった。闘病生活4年目には脳にも転移した。

 彼女の姉、そして、私の兄弟には病気について知らせたが、彼女の希望で他の誰にも知らせていなかった。親戚にもほとんど知らせていなかった。私の大学の関係者、事務長と学部長、そして、学科主任には知らせた。というのは、役職者として学部の行事に参加しなければならない日と彼女の手術が重なったからである。手術の立会でどうしても参加できないことと、それから、他の先生に私の代理を依頼しなければならなかったからである。

 彼女の病気についてはみなさんきちんとしておられて、箝口令がしかれているかのように、本当に関係者にだけ共有されていただけである。

 彼女は、この団地に移ってきた30年前にできた植栽ボランティア(草刈り・草むしり・木の剪定など)の活動に参加していた。活動には酸素ボンベを引きながら動ける最後の日まで、つまり、通院できた昨年の3月までは自分なりに参加していた。入院手術で活動に参加できない日があること、元気な時のようには活動できないので事情を、そのボランティア仲間には説明していたようである。

 彼女が亡くなったことは、彼女が親しくしていた友だちと身近な親族だけに知らせて私の友人知人、大学関係者にもまったく知らせなかった。田舎の友人知人にも知らせなかった。

 昨年の8月はコロナが再び蔓延していたこともあって、ごく少数による家族葬にした。
 
 名古屋に住んでおられる彼女の長姉とその娘さん、同じ病気で彼女より10ヶ月前に亡くなった長兄の奥さん、熊本の兄の娘が東京で働いていたので彼女が思いがけず来てくれた。それに息子の会社の社長さんが、出席者の全員である。団地のボランティア仲間の方々も是非とも出席したいとの申し出があったが、みなさん私の妻よりもご高齢なので、「申し訳ありませんが、このような状況ですので」と丁重にお断りをした。

 このnoteでは、彼女の介護の様子などを投稿していたので、最後の日々について「つぶやき」で投稿していた。だからnoteの読者さんの方が妻の死を早くに知っておられたのだ。親戚や大学の関係者、私の友だちなどが彼女の死をしることになるのは、年賀欠礼の喪中はがきによってなのである。

 喪中はがきが届くかどうかという時から電話や手紙がひっきりなしに届いた。幼馴染や従姉妹・従兄弟たちからも電話をもらい、温かい言葉と励ましに本当に救われた。有り難かった。

 熊本の兄夫婦からも心身両面にわたって本当に良くしてもらった。助けられた。

 ということで、兄夫婦や親戚へのお礼と挨拶、そして、中学高校時代の仲間へのお礼も兼ねて、コロナ禍で2年延ばしになっていた中学時代の同級生の「古希を祝う会」に参加するために、来月の11月初旬に熊本に帰ろうと思っている。

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