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学生さんからのメールへの返信➖親子関係➖(1)

ここ1ヶ月以上、noteから離れている。自分が書かないだけでなく他の人の投稿も読んでいない。時間がなかっただけでなく読む元気もなかったからだ。

体調がすぐれないのもあるが、喪中はがきを出したことで妻の早すぎる死に戸惑った人たちからの電話であったり手紙だったりへの対応に追われていたのもある。香典を送ってこられる人もいたので、そのお返しと返事も必要だった。それが結構しんどかった。

心のこもったお手紙をいただくと、それでまた涙していた。

noteのコメント欄でも大丈夫ですかという心配もしていただいた。noteで私の安否確認をしている息子と弟からは直接電話がかかってきた。

ということで、とにかく何か投稿しなきゃと思って昔書いたメールを取り出してきた。

学生さんからのメール


「突然ですが、反抗期と子離れ、そして親離れについて先生のコメントをいただきたいのです。 今日の授業でも(先生の)親子の話などが上っていましたが、 長男の私は、今初めてまともな反抗期らしいのです。 しかもやはり精神的に不安定です(笑)。 私は親に「子離れして!」と思います。」

「反抗期と子離れ、そして親離れについて先生のコメントを」とを言われてもどう答えていいか分からず、正直まいったなぁと思った。しかし、本人が悩んでいるのは事実だし、何か書かなきゃと思って書いたという記憶がある。

返信メール

今、反抗期だということですが、私の長男も次男も反抗期がなかった(もちろん母親に対してはありました)ので、たまに心配になります。

親離れ、子離れというのはすごく難しいよね。ぼくは、小学校時代まではほんとに厳しい親で、スパルタ風でした。そう、今なら児童虐待で訴えられかねない親でした。

殴ることを一切しないで、ことばだけで話すという風にしたのは、小学校の5年生の頃だと思うのです。そのきっかけは長男にチックが出始めたからです。つまり、子供にとって良かれと思ってしていることが、子供にとっては単なる抑圧にすぎなくなっているなぁと思ったからです。その時には、本人にははっきりと言いました。これからは、一切暴力は振るわないから、その代わりに君もちゃんとことばで話すようにと。

小学校時代までは、しつけの時期だと思っていましたし、一人前の人格だと思っていませんでしたので、だから厳しくしつけました。その時も、高校に入ったら一切干渉しないからと宣言していました。自分自身も親からそういう扱いをされていたということもあると思います。しかし、小学校時代は、私はものすごくうるさい父親でした。普通はね、ほとんど母親にまかせっきりなのにね。

中学に入ったときに、母親つまりぼくの奥さんから「男の子の気持ちは全然わからないからここからはあなたの責任ね」と言われました。子育てをバトンタッチされました。それからですね。きちんと息子たちと向き合うようになったのは。それまでは、母親から言われて、たまにしつけと称して殴るという、とんでもない父親でした。

子供に聞くと、小学校の高学年ぐらいから、大人扱いされていたので、あまり殴られた記憶はないといいます。親である私自身が将来の見えない大学院生であり、塾講師や家庭教師などをしながら糊口をしのいでいたので、経済的にも精神的にも不安定で、それが子育てにもろに反映していたのだと思います。

ぼくの子供との付き合い方というか、基本的なスタンスは、中学に入ってからは、もちろん今でもそうですが、「見ざる・聞かざる・言わざる」です。見てみぬ振り、聞いても聞こえない振り、そして小言を言わないということです。

子供の生き方にイライラしなかったわけでは、もちろんありません。聖人君子ではないからです。だからこそ、自分に言い聞かせ続けました、「見ざる・聞かざる・言わざる」と。説教したらお終いだなとも思っていました。つまり、説教しないで相談にのる。そして何よりも、対等な話しあいにするということを心がけました。

つまりね、私の方から子供の生活態度や学校の成績などを指摘して批判したり、叱ったりというようなことは、中学校に入ってからは本当にきっぱりやめました。でもこれって、すごく大変だよ。私自身普通の親だから文句の一つも言いたくなるしね。

当然のことながら、子供の生き方には無駄も多いし、回り道もするし、転ぶこともあります。だけど、まぁいいかと思ってやってきました。「転ばぬ先の杖」は差し出さないという方針でやってきました。失敗してもいい、転けてもいいというスタンスです。失敗し、転けて助けを求めて来た時に初めて手助けをしようと決めていました。

親ですから、彼らのいろんなことが気になるし心配になるし、だからこそ干渉したくもなります。彼らのためという大義名分もあるので、ついつい怒鳴りたくなるし、説教したくなります。生活態度や勉強も気になるしね。

しかし、自分の経験から言っても中学生や高校生になって、いわんや大学生になって説教されてもそんなの無意味だと思いませんか。説教されても怒鳴れても聞く耳は持たないと思います。

「見ざる・聞かざる・言わざる」のスタンスは持ちつつも、もちろんずっとちゃんと見守り続けてきました。そうしないと、彼らが相談を持ちかけてきたときに、適切な応対ができないからです。

一切怒らないし説教しない代わりに、「この頃どう?」という風に私から意識的に声をかけてきました。そうすると、彼らはそれぞれ今の自分が抱えている悩みをそれぞれぶつけてきます。それは、修学旅行の感想文の書き方だったり、あるいは生徒会長に立候補しようと思っているんだけどとか、あるいは古文の勉強に煮詰まっているとかね、割と身近なことです。

子供の人生は子供の人生で、私たちは私たちの人生だということで、子供に変な期待は一切しないという風に私達夫婦は決めています。そう、子どもの人生に無関心ではないけれど、期待もしないし、余計な干渉もしないと決めています。ある意味、冷淡に生きています。

今でも、それぞれ何かあったら、連絡してきます。ちょっと時間がかかるなぁと思うときには、たいていは外で会い、一緒に食事をし酒をのみながら、彼らの相談にのっています。結構長い時間話します。

終わりに

メールの文章をnoteに掲載してみると、実際は8,000字以上もあってのけぞった。重複している箇所があったので、それを削ったり順番を入れ替えたししたが、それでも1回の分量では多いと思ったので、2回に分けたいと思う。

  


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