見出し画像

許せる人、許せない人

許せる人、許せない人の違いはなんだろう。

許せないのは、とても辛い。
怒りに心を奪われているから。
自分を更に怒らせる妄想を増産していくから。
自分を守ろうとしている一方、自分を大事にする余裕を失っている状態に思える。

「許せない」から「許せる」になるのは、障害の受容に似ている。
乗り越えるには、大きな壁がある。
乗り越えられない、受け入れられないと思っていても、乗り越えるとスッキリと前向きになるし、
前と違う景色がみられる。
誰かに求められてできるものではなく、自分で納得してそうしようと思わないとできない。

許せない状態が続くことや許さないと思って相手に何かを求めることには虚しさがあるが、怒りは心を麻痺させ、それを感じさせなくなるようだ。

怒りから湧き出るエネルギーを生きる糧にすると、ある日、心身がとても疲弊していることに気づいて動けなくなるなんてこともあるかもしれない。
荒れ狂った後には、周りのしらけた空気と取り戻せない人間関係が残り、更に苦しむことになるかもしれない。

怒りで誰かを幸せにするなら、クールな思考が必要だ。
だから、怒りに身を任せ、許せないと荒れる人をみると勝手に心配する。

許せないと相手を追い詰めて、謝罪させて、傷つけて、それで攻撃した側の気持ちが癒えるとは思えない。

「あースッキリした」「だって相手が悪いんだから」「正義は勝つ」なんて思うなら、かなり闇は深い。
匿名で傷つける場合は、もっとタチが悪い。
天国行きを諦めてるに違いない。

追い詰めても追い詰めなくても、どちらにしても気持ちが晴れることはない。だから、せめて謝罪して欲しい、という気持ちなんだろうか。

嫌いな相手に色々委ねすぎではないか。
なんなら、憎いあの人に甘えているのだ。
自分のドロドロした気持ちを憎いはずの相手にぶつけて、何かしてもらおうと思っている。
期待を裏切られて怒っているのに、まだ謝罪させたい傷ついて欲しいと期待している。

許せないと人を責めるのは、真っ赤な石炭を手で握ってぶつけるようなものだ、という言葉もあるらしい。

生きていれば、誰でも許せないと感じてしまう瞬間はあるんだろう。
それが異常なことだと感じて、なんとか手放そうとした先に心の平穏はあると信じたい。

怒りをぶつける人に落ち着いて対応している人をみると、惹かれてしまうのは、若い頃からだった。
負の連鎖を断ち切る静かな意志が素敵だ。
そんな大人になりたいと、人生経験が乏しくてもそう感じた。

こんな風に私がくどくどと許せない人について書いているのは、そんな人を知っているからで、過去の自分にもそんな所が多少なりともあったと認めているからだ。

今は、憎しみに行動までも占拠されなくて良かったと思う。

「許してあげなよ」と軽々しくは言えないけど、「許さないことでこれ以上あなたが傷つくのは、みていて悲しくなるよ。」許せない人に、そんな風に言ってくれる人がいたらいいなと願う。
そんな言葉は、誰が言ってもいいものじゃなく、その人にとって特別な人が発することによってのみ、届く。
そんな人がいるなら、ご縁を手放さないようにした方がいい。手放しちゃいけないのは、怒りや憎しみじゃなく、そんな人とのつながりだ。

許せる人と許せない人の違いは、なんだろう。

許せた人は、自分を守れたことに気づき、許したことを人生の深みに変えていけるんじゃないかな。
許せない人が、自分を許すことができるようになるには、許せた人より、たくさんの時間が必要なんじゃないかな。

自分のためでいい。
最初はカタチからでもいいし、スモールステップでもいい。

これ以上苦しまなくていいんじゃない。
許してあげなよ。

許せない気持ちになったときに、自分にかけられるといいな。
自戒と願いを込めて、言葉をここに置いておこう。

この記事が参加している募集

今週の振り返り

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?