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豚としての卒業論文(卒論文集まえがき)

(上の画像は、卒論文集のぼくの書いたページです。全編通してオシャレなデザインの文集に学生が仕上げてくれました)

松井ゼミ16期生の皆さん、ついに卒業論文を書き上げましたね。お疲れ様でした。これほど大規模な文章を完成させたことはとても素晴らしいことです。ぜひ自分を褒めてあげて下さい。

大学生最後の年に、コロナウィルスに翻弄されながら、卒論のための研究をみんなで進めてきたことは、今後の人生の中でも深い思い出になることだと思います。zoomでのオンラインゼミは、3年生の時に皆で議論を創り上げるためのスキルを高めてきたこともあり、思いのほかスムースに進みました。zoom、LINE、Google Driveなどのツールを使いこなしながら、お互いに濃密なフィードバックすることで研究が前進しました。研究の進捗は例年に比べて明らかに順調で、最後の方ではあまりコメントすることがなくなったくらいです。とりわけ「good job!」なのは、ゼミ幹事の奥村樹くんの和やかな司会による巧みなゼミ回しでした。皆の意見をきちんと聞いて、ときには雑談を入れ、ぼくのボケにもしっかり突っ込み、なかなか会う機会がない中、ゼミとしての一体感が醸成されました。どうもありがとう。

ウンベルト・エーコというエラい人がいます。その人が「論文とは、何も無駄にならない点で、豚みたいなものだ」と『論文作法』という本の最後で言っています。どういうことでしょうか? エーコはこの本で次のように言っています。

卒業論文の機会を利用して、諸種の基礎知識の採集としての勉学ではなくて、ある経験の批判的練り上げ——つまり諸問題の所在を突きとめ、それらに方法をもって対処し、それらをある種の伝達技術に即して説明するための能力(将来の生活にとって有用な能力)の獲得としての勉学がもつ、肯定的・前進的意味を取り戻す(谷口勇訳『論文作法─調査・研究・執筆の技術と手順─』而立書房より)。

つまり卒論論文を書くという経験を通じて、(a)何が問題なのかを明らかにして、(b)それに適切な方法で対応する、(c)さらにはこの問題への対応について人に伝わる形で伝える、という生きていく上で不可欠なスキルを養うことができるのだ、というのです。

長年、卒論研究の指導は、エーコのこの考え方に基づいて進めてきました。いま書き終えたばかりの皆さんには、こうした力が身についたという実感は、あまりないのかもしれません。しかし生きていると、仕事であろうがプライベートであろうが、(a)〜(c)を適切かつ効率的に進める必要が出てくる場面に、多々、直面します。卒業後、そんな経験をした際には、卒論を書いた時のことを思い出して下さい。今回、経験した試行錯誤なり失敗経験なり成功体験が、今の自分に活きている、と感じてもらえたら、教員としてこれほど嬉しいことはありません。

ゼミは、こうした力を涵養する場であると考えてきました。こうしたコミュニティはもちろん教員1人の力で実現できるものではありません。参加してくれた学生のみんなが当事者意識を持って関与してくれたおかげで、良き場となりました。うちのゼミを選んでもらったことを感謝します。

16期をもって一橋大学商学部松井ゼミは、いったん店仕舞いをします。しかしこれは始まりの終わりです。これから皆さんの長い人生が交わりあうことが必ず起こります。お互い健康第一、笑顔第二で毎日を過ごし、リアルに集える日が来ることを待ちましょう。

2021年1月5日
2回目の緊急事態宣言発令2日前の自宅にて

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