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多様性とかインクルーシブとか

長崎県に来ている。自分のルーツのひとつに呼ばれたようだ。

宿泊してるホテルはオールインクルーシブ。部屋の冷蔵庫内もカフェもラウンジもフリードリンクなんだと。

うぇーい!
到着早々、素敵なラウンジでビールをいただく。
よき、よき。

しかし、、
引っかかるんだよな、この言葉。

インクルーシブ。

職業柄どうしてもインクルーシブ保育が頭に浮かんでしまうのだ。

保育園などを訪問するなかで、発達の特性に凸凹のある子の在籍数はかなり増えている印象だ。加配の先生も増えているが、まだまだ保育士が足りていないと感じる。

子どもが体験しているインクルーシブは様々だ。



私が初めて発達の特性に凸凹がある子どもに接したのは小学校6年生の時。

発達凸凹の子どもたちと遊ぶ活動をする大学生中心のサークルでのボランティア体験だった。

とにかく楽しかった。
小学校の夏休みだけのつもりが、高校生まで学校や部活の合間に続けた。

常にボランティアの中で最年少だった私をみんな自然に受け入れてくれた。

ここには子どもの頃は遊んでもらう側だった「卒業生」ボランティアもいた。彼らはそれぞれ特性を抱えていたが、子どもたちに喜んで迎えられ、保護者の方々にさりげなくサポートされ、スタッフ会議にも参加していたし、打ち上げと称してボーリングやBBQに行ったりもした。

私もお母さん方からピアノや料理を教えてもらったり、ご家庭へ出向いて子どもと遊んだり、互いにできることを提供し合う境界線のない場所だった。

インクルーシブなんて言葉を聞いたこともない時代だったけど、自然で当然で多様な世界だった。



で、インクルーシブって何だ?

子どもはもともと何も排除しない。

自らの心地よい方向を向いている。
自分も他者もそのままを受け入れている。

似てる、似てない、好き、嫌い、
という感覚はあれど、自分を中心とした空間を共有している。

そこに境界線を引くのはいつも私たち大人だ。そして線の外にあるものにフォーカスする。

「〇〇ちゃんを手伝ってあげて」
「△△ちゃんも一緒に遊んであげて」

もちろん困っていればサポートが必要だ。
でも自分でやり遂げる自由や一人の世界を楽しむ自由もある。

「〇〇ちゃんはゆっくりやってるんだよ」
「△△ちゃんは窓からクレーン車見てるんだよ」

子どもはちゃんと知っている。
インクルーシブしている。

子どもから学ぶことも多い。


あぁ、熱いボヤキが止まらない。

雲仙地獄から噴き上がる蒸気を見ながら飲んでいるせいなのか?

噴き上がりついでに妄想してみた。

例えば、
知らないご婦人たちが一人飲んでいる私を見て、こんな声をかけてきたらどうする??

あらあら、お可哀想。ご一緒に飲みましょうよ。
皆さん!これがインクルーシブざますよ!

いやいや、
そんなインクルーシブはいらん。

note書いてビール飲んで楽しんでるんだから。
ノーサンキューざます。笑

互いに心地よければそれでいいよ。
誰かが引いた線なんて気にしなくていいよ。

自分を大切にすることが何より大事だってことざます。

がっついて飲み過ぎてるぞ。笑

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