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矛盾を愛そう

2024年、最初のnote。

今、感じていることを書こうと思う。

矛盾を愛そう!

なんかそんな言葉がわいてきた。

矛盾ってさ、自分で作り出してるよね。ていうか、この世界は矛盾しかないよね。(いきなり、どした?)

森林活動は好きだけど、我が家の植木の世話は面倒くさいとか。
家族には野菜をたくさん食べなさいと言いつつ、自分はシュークリームをご飯代わりにしたりとか。

そもそも生きるってもう矛盾だよ。

自分の過去のnote記事だって、アチコチとっ散らかってて、
「はて?あなたはどういった人なんでしょ?」
とツッコミたくなるラインナップだし。

療育への思いを熱く語ったかと思えば、藤井風の沼でニヤけてみたり、スピリチュアルなこと言ってみたり。

でも、とっ散らかってることは重々承知のうえで、あえて書いてるところもある。私にとって素の自分を表現する場所がnoteなわけで。

だって人はいろんな側面あるでしょ。

母として妻として嫁として
先生として支援者として
大人として社会人として
日本人として地球人として
私として

たまにそれらが互いに侵食しあうことがある。そんな時、矛盾を感じてしまい、私は心がモゾモゾしてしまいがちだ。

たとえば、

まだ我が子が小さかった頃、自分が子育てしている姿を、療育で関わっている方々に見られるのが嫌だった。

近所で働いていたので、休日の公園やショッピングモールで会ってしまうことがあったのだ。しかもその頃は自治体の親子教室も担当していて関わりのある親子が多かった。

我が子に公園で鉄棒を教えたり、お店で買い物のマナーを言い聞かせたりする必死な自分も、逆にユルユルな子育てをしてる自分も、見られるのが恥ずかしかった。

いい先生と思われたかったんだと思う。

矛盾してるって思われなくなかったんだと思う。

自意識過剰ですな。
勝手にそう思い込んでた。

しかし、この思い込みって全くポジティブ要素がないのよ。
療育のクオリティ、我が子の健やかな成長、私の心、どれにもプラスにならないのよ。誰のためにもならないのよ。

こんないらんもの、手放しましょ。

長年かけて矛盾してる自分を少しずつ許してあげてきたような気がする。

どれも嘘じゃないもんね。
どれも本気だもんね。

先日、森林のボランティア活動に行ったとき、森を守る研究の大先生が休憩時間にタバコ吸ってるのを見かけた。草笛でも吹いててほしかったよwとツッコミたくなったけど、自分らしく生きて好きなことを追い求めてきた素の姿なんだろうなって思って、急に愛らしく感じてしまった。

やっぱ生きるって矛盾でしょ。
矛盾を愛したら軽やかな世界になりそうでしょ。



2024年の始まり
北陸で起きた哀しいことに心が持って行かれそうになりながら、神社でおみくじをひいて家族でウキャウキャ笑いあった。

何が正解なのかわからない。

ただ、思いを馳せることも笑顔でいることもどちらも大切にしたいと感じた年始だった。

矛盾を愛そう。

2024年はnote界だけでなく現実界⁈でも多面的な私をもっと出して行こうと思ってる。

ちょっと怖いし、そもそもそんなの誰も求めてないかもしれないけど知らんがな。笑

わたしがわたしであるために。

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