このまま未来を恐れていると、日本は回復不能な致命傷を負います

皆さんは新しいもの好きですか? 僕は大好きです。特にガジェット系は目がなく、四六時中チェックしています。まだ日本に住んでいた頃には、最低週一回は家電量販店に通っていたものです。

このほかパソコン通信は80年代半ばからやっていましたし、まだ誰も持っていない頃からデジカメを持っていました。自宅に最初のwifiルータを設置したのは1999年のことでしたしルンバは初代のモデルから購入しました。あ、それからiPhoneは発売当日から持ってました。このほか食べたことないものも割とすぐにチャレンジしますし、行ったことがない土地に行くのも大好きです。まあ要するにミーハーなんですね。

僕みたいな人って割と多いと思うのです。対象はガジェットではなくて旅行だったり食べ物だったり、あるいは洋服だったり化粧品だったりするわけですが、とにかく新しいものに目が無いって人って日本人に多いと思うのです。

こういう人たちは英語でNeophoria(ネオフォリア)と呼ばれます。 neo(新しいもの)に phoria という「幸福感」を意味する接尾辞が合体した単語です。逆に新しいものが嫌いな人は、neophobia(ネオフォビア)と呼ばれます。これはneo(新しいもの)に phobia という恐怖感を意味する接尾辞が合体した単語です。閉所恐怖症は clusterphobia、先端恐怖症をbelonephobia なんて言いますが、いずれも同じ構造の単語です。

日本はかつて、国を挙げてネオフォリアだった

かつて日本は、国をあげてネオフォリアでした。新幹線を最初に作ったのも日本ですし、デジタル時計やウォークマンを生み出したのも日本です。そしてそんな雰囲気は、バブルが弾けても90年後半くらいまでは続いていました。インターネットや携帯電話の普及、世界初のハイブリッドカー・プリウスの発売、ペットロボットのアイボ、あるいはSuicaのような非接触型決済システムの普及などなど、新しいガジェットやライフスタイルを歓迎する勢いが間違いなくあったと思うのです。

しかし、なぜかそうした新しい物を面白がる雰囲気が、いつの間にか薄れていってしまいました。気がつくと日本発のテクノロジーや製品が減っていて、代わりに新しいものは、すべてアメリカ発になってしまったのです。そして最近では中国発も随分増えてきました。

一体どうしてこういうことになってしまったのか、本当に不思議です。僕は今でも日本に帰るたびに家電量販店を覗き込んでいるのですが、今や物欲をそそられる電気製品がほとんどありません。むしろ「え〜!こんなデザインの製品、まだ売っているの!?」と思うことが多く、以前ほど家電量販店が楽しくなくなってしまいました。

例えばこういうミニコンポって、僕が90年代の半ばに欲しかったものと基本デザインが変わっていません。この写真は2017年の暮れに撮ったものですが、2017年といえばiPhone Xが発売された年です。

こちらは同じ日に同じ量販店で撮ったソニーのカメラですが、革製のカメラのカバーとか、こちらもテイストが20年以上前からほとんど変わっていません。

こちらは各種ビデオカメラです。こういうものが欲しかったのって、スマホ普及前までではないでしょうか? 

これでは、わざわざ新横浜のラーメン博物館に行かなくても、街全体がラーメン博物館のようなものです。タクシーはいまだに現金払いですし、これさえインストールしておけばOKという配車アプリも存在しません。

そこで今日の記事では、一体どうして日本はある日を境に新し物好きのネオフォリアから、新しい物を恐れるネオフォビアになってしまったのか考えてみたいと思います。

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松井博

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シリコンバレー、フィリピン、東京の3ヶ所に拠点を置くBrighture English Adacemy 代表、松井博が、日々あちこちで感じたこと、思ったこと、考えたことなどを徒然なるままに綴ってゆくメルマガです。
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