見出し画像

君の名は、?

「贅沢な名前だねえ。お前は今日から千だ」


これは宮崎駿の俊作、千と千尋の神隠しにて、主人公に新たな名前が与えられる有名なシーンである。
しかし現実世界において、このシーンのように、名前が変わるというのはそう多いことではない。
成長に応じて顔貌は変わっていっても、病めるときもすこやかなるときも、側にある。何かしら願いや意味が込められた、自分だけのアイデンティティ、象徴、親から最初のプレゼント。そんなきらきらした言葉で説明されるもの。それが名前である。
小学生など、自分に新しい名前をつけてみようと妄想することもあるかもしれない。私は子供の頃何故か「なつか」という名前に憧れていた(全国のなつかさんこんにちは)時期があった。響きがカワイイから。しかし、赤毛のアンがコルデリアではないように、私は「なつか」ではなかった。今となってはどんな名前を当てはめて楽しもうと、やっぱりこの名前以外考えられない、と思っている。周りから見てもそれはきっとそうで、なんか「しょうた」はしょうたっぽいし、「りな」はりなっぽいのである。(全国の、そしてお友達のしょうたさん、りなさん、突然すみませんでした)
さて、そんな「ひかり」にある程度思い入れがある私ですが、アメリカでは

「ぱかり」
「かり」
「ひっこりー」へと進化するらしい。



名前が変わることはほぼない……?前言撤回である。
米国のスターバックスではオーダーの際に名前を聞かれることが多いが、今のところ100/100間違っているのだ。これらはまだ原型をとどめているだけ可愛いもので、「ジャカル」と書かれた時はびっくりした。じゃはどこから来たんだろう。ちなみにヒッコリーは北アメリカ地域にあるくるみ科の樹木である。またひとつ賢くなった。
数行前に名前は不変のアイデンティティと書いた身で恐縮だが、こと異国で自身の名前を覚えてもらうのはそう簡単ではないようである。
そして、名前を間違えられまくって気づいたことがある。覚えられにくい名前は不便なのだ。当たり前の事実だが、不変のアイデンティティである以上、覚えられにくい名前ではいつまで経ってもぼやけたアイデンティティで生活する羽目になる。
というか、単純に、悲しいのだ。同じ異国人でも、覚えやすい名前の子はスッと呼ばれるのに、いつまでも「…で、あの…日本人の…誰だっけ」ってなるあの空気が!私もちゃんと名前で呼ばれたい!!

そこで、一計を案じた。イングリッシュネームなるものがあるらしいじゃんと聞きつけた私は、「ひかり」と発音が似ている「キャリー」という名前をこの国で名乗ることにしたのである。キャリー/Carrieは一般的な名前だし、発音もしやすい。少なくとも気ままに進化する「ひかり」よりは、覚えてもらいやすい。さっき、やっぱ名は体を表すよねみたいなことをいい感じに書いたのに、鮮やかな変わり身の速さである。そりゃどう見ても私はキャリーではないだろう。だが気にしない。セカンドネームなんてかっこいいじゃんね?アメリカっぽいよね?グローバル!万歳である。
さて、キャリー名義のサインもばっちり考えた。「こっから自分キャリーなんで」と勢い込んだ私は、幼稚園児が買ってもらったばかりのランドセルを持って出かけようとするがごとく、デビューの場として、スターバックスで注文を試みた。例の「ぱかり」店である。


コーヒー店で堂々紅茶を頼み、さして意味をなさない無脂肪乳への変更といういつものオーダーを繰り出し、会計へとうつる。
さあ聞いてくれたまへとアシタカばりの名乗りモチベーションである。もうこれで聞き返されないぞ、と意気込みは十分。
すると、である。
店員さんは当然あるとわくわく待ち構えていた私の名乗りパートをスルーし、会計に入ってしまった。キャリーは激怒した。

話が違うんだけど!!


この店でぱかりって言われたのキッカケに私キャリーになったのに!聞いてよ名前!
というか名前を聞かれないと受け取りの時どうするのだろうと焦りながらも、アシタカ流に自ら名乗りを上げる度胸もなく、仕方なく背中を丸めて受け取りカウンターに並んだ。


5分待った。

私のドリンクは来ない。

いや、もしかしたらもう来ているかもしれない。ただ、私にはそれを知る術がないのである。
名前、聞かれてないし。

くだんのスターバックスは、グランドセントラル(NYでいう東京駅みたいなところ)の二階に位置している。駅中カフェスタンドでバイトしたことがある方ならわかるだろう、めちゃくちゃ忙しい店舗なのである。
つまり、店員さんはモバイルオーダーとカウンターの二重の注文を捌き倒し、なんなら「これ違うんだけど!作り直して!」みたいなアメリカあるあるに対応し、と疾風のように動き回っているので、こんな小さな生き物に構っている暇はないのである。少なくともオーダーが通っていないのか、ただ作っている途中なのか、まだ状況が確定していないのに「あたしのオーダー通ってる…?モジモジ」と聞きにいける空気ではないのである。
この時のわたしは、少なくともそう思った。

もうちょっと待つかあ….

お迎えに来るはずの親がいつまで経ってもこないあの幼き心細さと似た不安と大丈夫だよね?という焦りを心の中で共存させながら、ちらちらと明らかに紅茶を作っていなそうな店員さんの手を眺めて待つ。

「Emma!」「Jackson!」
ほらみんな呼ばれてる…!!!
「Christopher!」「Ray!」
ねえあの人絶対私より後ろにいたよね??


たぶん、10分くらい経過した。

流石にこれはもう、と勇気を出して店員さんに聞いてみる。

「あの..私のドリンクってまだですかね?」
「名前は?」
めんどくせーーーと顔に書いてある若干愛想の悪い店員(あるある)が、だるそうに対応してくれる。
「いや、それが、聞かれてなくて…」
「何頼んだの???」
「イ、イングリッシュブレックファースト…」
「え??なに??聞こえない!!!」

怖い〜〜〜!!!お客様は神様の国出身、店員は優しいものと思っているので、そらもう心臓がバクバクである。しかしここは自由の国、ひるんではいけない。

「10分前にイングリッシュブレックファストティーラテ頼んでここで待ってんの!!まじ遅刻しそうだから確認して!」
かなぐり捨てるは日本人的遠慮、インストールするは押しの強さである。
舌をもつれさせる私の必死さが伝わったのだろうか。流石の忙しさでも、ホスピタリティのスターバックス、店員さんが確認しに行ってくれる。

汗をかきながら待つと、案の定。私のオーダーは忘れられていた。
改めて店員さんが作り直してくれる運びとなった。(狭い店舗でただ場所を取っていただけの10分間を思い虚しくなった)

そして、ついにこの瞬間が訪れる。わたしは紅茶ではなくこのためにこの場所に立っていると言っても過言ではない、(真実、過言ではない)この一瞬。

「あなたの名前は?」



待ちに待ち望んだ名乗りの機会。私は、息を吸い、発音に気をつけながら新しい名前を名乗った。
「キャリーです!」
「キャリーね。オッケー」
…ついに言えた!!あと、通じた!

達成したのはただ名乗りをするという一点だけなのに、謎の達成感が心に満ちていた。私は、ついに、スターバックスで名前を認識してもらえたのである。
名前というのは不思議なもので、他人から呼ばれるとより輪郭を縁取られたように、実体を伴って産声をあげる気がする。新学期についた出来立てのあだ名が、呼ばれるうちにしっくりとわたしのものになっていくように、その瞬間、確かに自分のアイデンティティの一つに「キャリー」が加わったのを感じた。

今度こそ、その場所に並ぶ資格を持ってドリンクを受け取る列に加わることができた。受け取りカウンターでしばらく待つ。先ほどの店員によって作られた、私のドリンクが手渡される。さあ、私の新しい名前が呼ばれる…



「イングリッシュブレックファースト〜!」


呼ばれなかった。


そこは〜〜〜〜〜!!名前で呼んでよ!!!

日常である、スタバでオーダーし、ドリンクを受け取るだけの数刻に、なんだかすごく感情が動いた。「Carrie」とシールが貼られたカップをそっと手のひらで包み込む。たぶん、こんな「あるある」の出来事に心が動くのは今日だけだ。こうやって、一歩ずつ鈍感になっていくんだろう。次にこの店に来るときは、たぶん私は5分も待たずに店員さんに聞きに行けると思う。名乗るときは、大きな声でキャリーと名乗れるはずだ。聞き返されたって怯まない。だって、小心者ではいられないのだから。日常だったものが新しい当たり前によって塗り替えられていくこの経験は、どこか昔を思い出して懐かしい。新しいクラスでのあだ名が馴染む頃にはその新しさが日常になっているように、この真新しさも今だけの感情になるはずだ。そうなるように、明日から、もっと勉強しなきゃ。新しい名前と一緒に、新しい決意が心にストンと落ちてきた。



ようやく口をつけたイングリッシュブレックファファストティーラテは、急いで作ってシロップを入れ忘れられていたのだろう、絶妙においしくなかった。

追記:いうて関わる人日本にそれなりに興味ある人だからか、キャリーはいまいち浸透していない様子

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?