見出し画像

一脳神経内科医が選ぶ2023年下半期に読んだ本ベスト5


誰も読むことはないと思いますが、今年もまとめておきます。笑
2023年上半期編はこちら。
https://note.com/matsumotoy10/n/nea947285df39

5位 "Pure Invention" Matt Alt
https://amzn.to/3ws87yd

日本のゲームやアニメがどのように世界を席巻していったのかを日本在住のアメリカ人の方が詳細に調べて記載した本。自分が世代だからか、特にファイナルファンタジー7についての記載で始まる前書きがとても印象的。
筆者の日本のサブカルチャーが日本の苛烈な労働環境から逃れるために、出現したものという考えが、日本人にはない視点でとても印象的だった。つまり、苛烈な環境に日本が陥れば陥るほど、その環境から逃れるための幻想が必要になる、その幻想を巧みに日本は作り出してきたということです。
ここ30年、経済的に凋落してきた日本ですが、凋落すればするほど、優れたサブカルチャーを生み出す、そういった国になるのかもしれません。
考えてみれば、今流行りの"異世界転生もの"もそうですよね。現世では"平凡"だった人間が事故にあうことによって異世界に転生し、そこでチート能力を得て無双する。異世界転生ものも、現実世界が苛烈がゆえに、作り出された一種の幻想なのかもしれません。

4位 "神谷美恵子日記" 神谷美恵子
https://amzn.to/3TcgG9x

マルクス・アウレリウスの自省録を読んだことをきっかけに、その訳者である神谷先生に興味をもち手に取りました。精神科医でありつつ、フランス語、ラテン語などの語学にも堪能で、様々な洋書の翻訳をされたり、ハンセン病の患者さんへの医療に邁進され、美智子皇后様の相談役であったともいいます。
 そんなすごい先生でも、家事に追われなかなか仕事がままならず、悩みや苦しみを日記の中で吐露しています。自分自身も家庭に多くの時間をとられ仕事に悩んだ時期もあり、とても勇気づけられました。

3位 "AD INFINITUM" Nicholas Ostler 
https://amzn.to/42RTpg8

ラテン語がどのように一時期、世界言語の覇者となり世界中に広がっていったのかと描いた本です。改めて、ラテン語を勉強しなおしたいと思い手に取りました。
ラテン語はローマの公用語となり、ローマの軍隊及び商業の拡大によって、ヨーロッパ全体に拡がっていった言語です。ゲルマン人やイスラーム帝国の侵攻によってローマ帝国は衰退を迎えますが、キリスト教の典礼にラテン語が用いられるようになり、一部の聖職者にとって、ラテン語が権威的な意味合いをもつようになります。(不思議なことにキケロはイエス誕生前に生まれた人ですが、キケロ的な文章がキリスト教でも好まれたようです)その後、フランク王国の隆盛に伴いシャルルマーニュの改革もあって、その価値が学問としても改めて見直されるようになったのはラテン語かギリシャ語でした。その後、大学ではラテン語で教えられるようになり、宗教的な意味合いのみならず学問としての価値も増していくことになりました。中世の大学の授業では現地の口語ではなく、ラテン語で皆会話し授業をしていたようです。 1605年に出版されたフランシス・ベーコンの学問の進歩は当初英語で出版されたようですが、すぐにラテン語にも翻訳され、ベーコンは多いに喜んだと言います。 これで「自分のしごとが永久に残る」と。ラテン語が西洋の学問の世界で非常に重視されていたことを裏付けるものでしょう。
 加えて、南米や米国にもラテン語が拡がっていきます。前者はスペインの植民地化によって、後者は英国からの移住によって。 17世紀にできたハーバード大学ではラテン語ができないものは留学を許されなかったと言います。そうして西へ東へと拡大したラテン語圏ですが、徐々に現地の口語の発展とともに現地の言葉に置き換わっていき、16-18世紀にかけてヨーロッパのいずれの国でも、差はあれど、ラテン語の出版物が減っていくことになります。ニュートンのマテマティカはラテン語で書かれていますが例外だったようです。
米国では西へ西へと際限なく(AD INFINITUM)開拓が進むについて、カリフォルニアに行き着く。カリフォルニアとは中世の小説を基に名付けられた、幻の土地を意味する言葉のようでした。その幻の土地を最後に、ラテン語圏の拡大は止まりました。今はインターネットの中で、ラテン語のサイトが増えたり拡大を続けています。
ラテン語の勉強するにあたって、まずラテン語のことを理解してみようと思い読んでみましたが、自分の教養を涵養し、知的好奇心を刺激するとても良い機会になりました。

2位 「原始仏典 長部経典I」 中村 元 ほか
https://amzn.to/3UIXqSb

"修行が完成したと思うのは、修行が完成していない証拠に他ならぬ"

ゴウタマ・ブッダ

長部経典は上座部仏教の聖典であるパーリ語で記載された経蔵を翻訳したものです。
特に興味深かったのは、 ポッタパーダ・スッタにおいてブッダ自身が死後修行者が存在するのかなど、形而上学的な問いに対し黙して答えなかった点である。当初は、ウィトゲンシュタインと同じように形而上学的な問いに対して黙して沈黙を守ったと解釈したが、他の経典では形而上学的な問いに積極的に答えているブッダに困惑していた。その点は、清水俊史さんの"ブッダという男"を呼んでとても納得が行きました。
いずれにしろ、このブッダという男は本当に賢い人だったのだなと改めて感じる。いつか三蔵を読破して、三蔵法師ならぬ三蔵医師になっぞ!笑

1位 「生きがいについて」 神谷 美恵子著
https://amzn.to/3I4WsYG

先述の「神谷美恵子日記」から神谷先生の傑作「生きがいについて」にいきつきました。
この本、生きがいという普遍的なテーマを扱いつつ極めて難解な図書です。あとがきにも、”この本を簡単に手にとるやつが嫌い"という言葉が寄せられています笑。神谷先生のハンセン病の方を診る過程で得た気づき、また膨大な読書量に裏打ちされた知識を源泉に、生きがいとはなにかについて考察しています。個人的には、生きがいを失った人(最愛の人の死であったり、不治の病に罹患したり)がどのように、生きがいを再び得るのかという、神谷先生の経験した事例も含めた洞察が大変興味深かったです。
 生きがいを失った人は地面が崩れたように、現実感が崩壊し、現実での拠り所を失います。神谷先生は人間はマルクス・アウレリウスが自省録でも述べていたように、精神と肉体の世界を行ったり来たりするものであると捉えているようです。しかしながら、苦しみの多い人、現実の拠り所(生きがいを喪失した人)は肉体の世界で生きることが難しく、精神化(精神の世界で生きる)傾向が一層強くなると神谷先生は考えました。
 ドイツの心理学者であり哲学者であるエドワルト・シュプランガーは認識の世界に生きる人と観照の世界に生きる人がいると言ったといいますが、神谷先生と言っていることは同じであろうと思います。ただし、精神の世界を生きる人であっても、生きがいは純粋に精神のものではなく肉体と連動したものであると神谷先生は考えているようです。これは精神を癒やすために、身体的な薬剤を用いる精神科医ならではの視点であろうと思う。多くの哲学者はこのようには考えないでしょう。
 そうして生きがいを喪失した人も、なんらかの"心の変革体験"を経験することによって(愛であったり宗教的な喜びであったり)、現実世界に戻ることができる。ここで英国の詩人、ウィリアム・ブレイクの一節が引用される。

一粒の砂のうちにも一つの世界を見、一輪の野草のうちにも一つの天国を見、てのひらに無限をつかみ、一時間のなかに永遠をもつ。

ウィリアム・ブレイク

本図書が難解と思われる理由は、必ずしも明快に生きがいとはなにかと神谷自身も答えをもっていないことだ。それでも、あらゆる文献を探索し、自身の臨床経験から絞り出し、生きがいに迫っていく。この本の魅力はとても私ごときでは書ききれない。

もしご意見ございましたら、なんなりとコメントください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?