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大切なもの

空に光る星を君と数えた夜
あの日も今日のような風が吹いていた

あれからいくつもの季節越えて時を過ごし
それでもあの想いをずっと忘れることはない

大切なものに気づかない僕がいた
今胸の中にあるあたたかいこの気持ち

(大切なもの 山﨑朋子)


モノ、匂い、そしてメロディ。
それらがトリガーになって瞬間的におでこの裏側に記憶が蘇る。
この曲を口ずさむ時、私は初恋を思い出す。

彼女はかっこよかった。そしていつも孤独だった。艶のある長い髪、アーモンドみたいな目に、健康的に焼けた肌。バンドでドラムを叩く彼女に、私はいつも羨望の眼差しを向けていた。
そして四六時中彼女のことを考えるようになり、彼女と話すと胸が高鳴った。
いつしか羨望が恋に変わっていたのを、まだ恋を知らぬ当時の私は正確に理解できなかった。

その頃、私達は石川県金沢市に住んでいた。
冬は練習が終わる頃には真っ暗で、積もった雪がぼんやりと白く光っていた。
彼女は部活が終わると即座に教室を飛び出し、玄関のざわめきが収まるまで校庭でひとり空を眺めていた。
私は毎日そっとその隣に腰掛けた。
たぶん彼女はひとりになりたがっていたのだろう。
でも、私は一瞬でも長く彼女といっしょに居たかった。
「星を数えてるんだ」
彼女はそう言った。
「3つしか見えない」
「もっとあるよ。目を凝らしたら」
空に向かって息を吐くと吐息が白く凝固した。
でも、不思議と寒くなかった。
彼女の横顔を盗み見た。澄んだアーモンド型の瞳には何が映っているのだろうか。

彼女の頭頂部にはハゲがあった。左腕には爪の形の傷。この頃の彼女は板挟みになって苦しんでいた。
その肩を抱きしめて、手を重ねたかった。
何度も何度も想像してシミュレーションした。

……でも、私にはできなかった。
ただ、隣に腰掛けていっしょに星を数えることしかできなかった。

もう一歩だけ踏み出す勇気が私にあれば、何か変わったのだろうか。彼女を少しでも救うことが出来たのだろうか。

その3月。卒業と同時に私は父の転勤で東京に引っ越した。
彼女とはそれ以来一度も会っていない。


楠木

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